打楽器は拙作のなかで、絶えず重要な役割を担ってくれてきた。マリンバを含め、芸術祭や日本レコードアカデミー賞などにも縁があった。
だから私は演奏者に関して特別な思いが打楽器奏者にあった。しかし痛い目にばかり合わされてきたのも事実だった。
「音楽づくり」を文化施設の人びとに体験していただき、地域文化振興にも役立てていただきたいと思って実施したことがあった。自分たちで「つくる」「表現する」、その芽を文化育成の原理として役立たせる、という意味で全国大会の別枠で企画していただいた時間を私は受け持った。
小学校などでの幾つかの失敗を活かすため、音大卒の打楽器チームと打ち合わせをした。初めて打楽器を手にするひとが考えて、叩けて、それを一つのフレーズとしてつくったものを繰り返して、即興で表現していく手立てを徹底してリハーサルを繰り返した。全員分かったような顔をして舞台に登った。
舞台では打ち合わせとは異質なレッスンが始まっていた。そしてグループに分け「サンバ」のパターンを押し付けていた。全員で舞台はサンバの祭りでも盛り上がって行った。全国に「音楽づくり」の誤解を伝達してしまった。