坪能 克裕 公式ウェブサイト Ⅲ(2001〜)

Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

顔音痴②

 顔音痴、顔認識の甘い物語を上げる。それは「変相」ものだ。七つの顔を持つ男や七変化、二十面相などの映画が昔からあった。
 ひとは同じ顔でも、帽子を被る、髭を生やす(付ける)、髪型を変える、覆面をする、などの変相で、誰からも見破られないと私は思っていた。そう、メガネをかけただけでスーパーマンと気が付かなくなるのだと信じていた。町人でも奉行でも入れ墨を見せるまで悟られないし、声や体格が同じでも顔のメイクで誰からも判られないのだと思っていた。

 子どもの頃から私は良く人を違えていた。何から何まで Aさんに似ていた。自信を持ってポンと肩を叩いたら、全然知らないひとだった。
 ある時、電車に乗っていたら昔の高校の B先生に会った気がして・・・何度も確認して声を掛けたが、違っていた。そのように間違える方が多かったので、以後相手が私に気が付き、声を掛けてくれるまで黙っていることにした。

 コンプレックスは他人に言えないから悩むのであって、みんなに言える段階のものはコンプレックスとは言わないだろう。顔認識の努力は人知れずしてきたが、どうしても治らなかった。髪型やメイクを変えたようなレベルから顔の判別が不能となるから、私にとっては大変なバトルだった。

 バッタリ友人・知人・後輩(学生)に逢う。すると誰だか?数秒思い出すのに時間がかかる。この一秒前後の「間」であっても“信頼”が失われる・・・「私を忘れたの?」「偉そうな態度」「アンタ何様」と相手は冷たい目に変わる。そしてその場は何とか繕っても、信頼が無くなり、友だちを失った瞬間を何度も経験することになった。半世紀ぶりに会った従姉妹も思い出せず「どちら様ですか?」と聞いてしまった。
 友人だけでなく、混雑した場所でワイフと待ち合わせた。「さっきから顔を合わせても行ったり来たりして私を見つけられない。どうなっているの?」と叱られたことが度々あった。
 前述したが、顔認識はコミュニケーションの基だ。第一歩が欠落しているひとに文化芸術の才能はない、と言われればその通りだったかも知れない。秘密だったが重大な欠陥で、努力の甲斐もなくその悩みは消えないママ歳をとってしまった。

顔音痴①

 ひとは様ざまな音痴を知っている。歌うと下手なひともいるが、脳に問題がある以外、音痴だと胸を張ったり悩んだりする必要は無いそうだ。
 方向音痴というひともいる。痴呆症では無いので、自宅には帰って来られるようだが、案内図を見ても何度ひとから道を教わっても、方向が判断出来ず辿り着かない人もいる。

 「顔音痴」というのがある。努力しても人びとの顔の判断が出来難いことだ。音符の記憶に特技があるためか、音楽家でひとの顔判断に自信のないひとは結構いる。
 顔認識はコミュニケーションの基であり、人びとはそこから社会で生かされることになっている。だからそこが欠落していると、才能も何もあったものではないのだ。
 
 学校の先生は子どもの顔をいち早く覚える。卒業後も正確に顔を記憶している。顔と名前を覚えたら、性格が分かり、得意な才能も発見し生かせるようになる。子どもからしたら、顔や名前を覚えてくれない、ということは悲劇に等しいことだ。
 顔判断が鋭いことは、警察官もそうだし、接客商売には欠かせない才能だ。何度顔を合わせても初めて会ったような素振りでは、人びととの信頼関係は生まれない。

 (失礼ながら)大した才能が無いと思われたひとでも、顔認識が長けているとコミュニケーションが拡がり、仲間づくりから才能が生かされてくることが多かった。だから顔認識が得意であることは、もうその道の天才を授かっているようなものなのだ。

三日目の辞表

 新人社員が三日目には辞表を出して辞めていく。
 面接だけでは分からない勤務先の様ざまな価値観に遭遇するには、二三日は掛かるからだ。人が集まると、様ざまなハラスメントが待っているのが常だ。自分の才能を生かされるかではなく、誰が自分を護ってくれるかの判断は、外からでは分からないものだ。ピンときたら逃げるのも大切なことだと思う。

 「学校を一つあげるから、好きなようにやってくれ」という誘いを学校の旧理事長から受けたことがあった。全面的なサポートを学校内外から人的にも経済的にもする、という話だったので引き受けざるを得なかった。
 入ったら、在職者の心は荒廃していて、伝えられる情報はデタラメで、私を招聘した先生は豹変して高圧的な態度になった。誰を、何を信じていいのか分からなかった。そこで急遽、経営や法律の専門家に学内資料を調べて貰ったら、何かあった時に私を護ってくれる文言が何処にも無いことが分かった。「逃げるが勝ちだ」と判断して、三日目に辞表を提出した。
 旧経営者の態度は一変した。なだめられ、一旦は継続することにしたが、長居は無用という判断は曲げなかった。その時までに、社会の中の学校、経営の秘密、音楽家の学校との関係、未来の音楽家や教育問題など、テーマを決めて体得することにした。それはその後役立つことになったが、この時期の様ざまなアクシデントは、仲間・先輩・後輩との優れた信頼関係にヒビが入ったなどの損失は大きかった。

訃報の年輪

 長いこと生きていると、多くの人びととの出会いと別れがある。そして、誰にも知られないうちに亡くなったひともいる。
樋口 昭(元埼玉大学教授)先生は「私が作曲家になりたい」という時、ゼロから教えてくれた恩人だった。そのご両親にも私はお世話になったが、随分前に亡くなられていた。樋口先生は独身のママ暮らしておられたので「孤独死」だった。どうやら通常の葬儀も行われず今日まで来てしまったようなので、私は近々追悼音楽葬をお寺で、演奏家と私と二三名の参加者で菩提を弔いたいと思っている。

恩師や先輩諸氏の訃報に触れる機会が多くなった。悲しいことだが、若くして亡くなられるひとの訃報は辛いものがある・・・末期癌だと本人も承知していた。でも演奏会の本番はキリッとした名演で、誰もピアニストの彼女が病身だとは知らなかった。
三月の紀尾井ホールでの私たちの演奏会から一ヶ月後に亡くなられた。プロの生き様だと思った。「飛澤直子」さん、のご冥福を祈っているところだ。

霊感・占い

 霊感の強い人が時々いる。普通の街のおばさん(失礼!)が様々な事例を当てたり、予言を的中させたりした人も知っていた。ひとは一つ言い当てられると、その人を信用するクセがあるようだ。私に対しては依頼者の聞きたいことが当たったこともあれば、外れたこともあった。普通は見えないことを言える優れたひとは、分かっても言わないかもしれない。

 子どもの時に、普段見えないものが見えたり、聴こえたり、不思議な現象に遭うひとはいるようだ。何の訓練もしなくても、第六感や“胸騒ぎ”を体験するひとは多いいようだ。私も不思議な体験を数多くした。霊(いや、例)を挙げるとキリがないほどあった。

 多数の本を出していた有名なタロット占い、星占いの先生が、昔お酒を飲みながら私に言ったことがあった。占いは何千年かの人間の知恵であるけれど、半分しか当たらない。残りは経験や閃きで判断するが、相談者の努力で変わってしまうことが多い、ということだった。予言より、本人の努力が勝る、というところが大いに気に入っていた。

音楽の理解

 ジャンルにもよるし、好き嫌いはあるものの、ひとはいい音楽(や歌)を嗅ぎ分ける能力を鋭く持っている。シャウトしている言葉から理解しているだけではない。その作品の持つ全てを理解しているようだ。だから過去のヒット曲やヒット歌手には凄い力がある。
 クラシック音楽や現代音楽でも、ひとの鼻(耳)は鋭く嗅ぎ分けている。ただ理解するための手続きが面倒なだけだ。その基はポップスと同じだとは言わない。しかし「分かる」ということは理屈を超えて人々を魅了させるから凄いと思っている。

 音楽の「理解」はひと様々だし、勉強の段階でもレヴェルに応じても異なってくるようだ。ベートーヴェンの作品も、何も知らないで聴いた時と、音楽の勉強したての頃と、専門的に指導を受けた頃と、熟年になって再度勉強した頃と、歳をとった今とでは、同じ作品でも違った感動がある。名曲という世界遺産にはそれだけの力があるということだ。
 私の指揮の先生は、弟子が理解したグレードに合わせて指導して下さっていた。だからこれ以上の勉強は出来ない、というラインまで努力して見て貰うと、猛烈な世界に誘ってくれていた。それだけ一つの音楽でも奥が深いということだろう。

 オリジナルは、情報の渦から一つ触れるものがあるかどうかだと思っている。それで「あれも知っている。こんなことは他の人は知らない」という知識の持ち主もいる。それを超えて新しい価値を生み出すのは大変なことだ。
 現代音楽の仕組みの様々な手を知っていると、作り方から、何を言いたいか、どんな手順で盛り上げていきたいか聴いただけでネタバレすること良くある。何だ、意外にツマンナイ音楽だな、と思ってしまう作品も多い。それもこれもたくさん聴いていると誰にでも分かることだろうし、人びとの鼻や耳の怖さが身に染みて来ているのも私は実感することが多い。

倍音を聴く

 自然界は極低音の上で、倍音が整然と、またはぶつかり合いながら響合っている。
 都会の音は、低音からしてぶつかり合っているので、倍音が身体に刺さるような暴力と化している。高速道路、工事現場、ビルや家庭から出る音が、複雑に絡み合っていて、人の全身に襲い掛かっている。よく市民が病気にならないと私は感心している。海や山のあるところに行くと、大地の底から支えている極低音の上で純正を基にした自然倍音が透明感を持って響き合っている。だから身体が音の綿に包まれたような心地良さを感じて心まで休まる。

 音楽は倍音の積み重ねの変化で、ひとは意識をしなくてもそれに包まれていることにより心地よさを知っている。雅楽も倍音の響きの中でメロディーが浮かび上がるようになっている。人数の多い声明では、ぶつかり合った音たちが、天空で絡み合って時々光明がさすように響き渡る。

 拙作では、自然であり私が望んだ倍音によって望まれる響きや歌が生まれる仕掛けが多い。録音すると消えてしまう音もあるので、生の演奏がいいに決まっているが、それでも断片的に聞こえることもあるので紹介させていただく。
 とにかく Webで公開してくださるという友人の作曲家が採用してくださったが、タイトルが検索に引っ掛かりづらく、何年経っても訪問いただけないのが残念だった。

 宮本妥子さんのヴィブラフォーンによる「Celestial- Vib」(天空の響)がそれである。

文化事業の基・失敗の基

 公立文化施設が市民と一緒になって事業を展開させ、文化都市形成の一助になるかの基本は一つしかない。私たちが文化都市にする、などの思い上がりでは決してできない事業で「市民の心と努力をささやかな力で支える役」が文化施設だからである。
第一に、市民の意見を「聴く」ことだ。そしてそれを「生かす」ことだ。ところが市民は予算などの資金を持っていないので、その生かす術の一つに資金を含む「支援する」ことが加わるのだ。街には人材を含めた「財産」がある。それを生かさないで、オリジナルを産み出そうと思うこと自体誤解がある。街の人財にはクセがつきものだ。それを包括して新しい交流を生み出すことが一番大切なことなのだ。その結果、海外を含むクラシック音楽やポップスの一流アーティストを呼ぶという興行を成功させるエネルギーになるという仕組みだ。

 この仕組みは何処でも誰にでも何回も話して、実践して、討論して理解していただいてきた。そして各地でも成果を上げてきたが、大元で失敗していた。この簡単な理屈が誤解を生んで行ったことに私はショックを受けていた。

 それは芸術監督を引き受けた街には「少年少女合唱団」があった。その存在は大きく、街にも文化施設にも、大きな財産になるはずなので「どこかご一緒に協力できることがあったらしましょう」という投げかけだったが、交渉した責任者は決裂させて帰って来た。畢竟、会館の公募で子どもたちの合唱を立ち上げることにしたが、どんなに立派な団体を育てようとも、これまでの財産団体を壊してはいけないのだ。その後、その団体は解散してしまった。十人の味方を得るよりも、一人の敵を作ってはいけない、という鉄則を破ったことになる。恨むひとは家族から卒団生まで何千人にもなるだろう。これでは基礎工事は欠陥であったと言われても言い訳はできない落ち度だ。

 チームは一人の力で動くものではなく、事業のコンセプトの相談は会館責任者が分担して各地の相談にも対応していた。そこで「こんなチッポケなステージじゃクラシック公演は無理だ」などの助言をして、壊れてしまった事例が沢山あった。私が全部直接相談を受ければよかったのだが、私の脇の甘さをつかれた形で、取り返しのつかない失態を演じていた。これに限らず、初手でボタンを掛け違うと、どんな立派なことを言っても花の季節はなかなか訪れないことになる。

「蝶の谷」・岡崎市立矢作南小学校

 自作品が Youtube に載っていることがよくある。アニメを含め昔の作品なので、自慢より自戒の念を以って時々拝見していることが多かった。
 しかし、この「蝶の谷」は凄いと思った。子どもたち全員が、全身全霊を上げ生命を讃歌しているからだ。
 金賞をとれなかったようだが、私からすれば「ダイアモンド賞」の値打ちがあると思った。
 昔、小学校で子どもが「演歌を歌っている」と言われたことがあった。文句があると言うより、音楽室から漏れる歌声に、意外な響に先生がたや街の人びとは驚いたのかもしれない。もうこの曲が再現される時代ではないだろう。しかしこの合唱団による合唱の領域は確実に拡げていただいたと思っている。
 合唱団の人びとは、現在 40歳前後になられたでしょう。どんな蝶の谷を経験されて、その後の音楽観にどう影響されたのか、一度お伺いしてみたい気がしている。

「獅子の時代」タイトル編曲

 Youtubeで NHK大河ドラマのテーマ曲を見聞きすることができる。私がお手伝いさせていただいた‘80年放映「獅子の時代」は、ロックバンドと N響が初めてコラボした演奏と評価されていた。

  ‘ 79年秋、私はギリシャのヘロドアティコで、国際現代音楽祭入選作品のオーケストラ作品の初演に立ち合い、帰国後直ぐに紹介された仕事だった。
 ロックバンドの演奏は出来ていた。リズムと主旋律、ベース・ギターを含むコードも完成していた。普通はそれがバンドの作品サンプルで、バンドとオーケストラが同時に演奏して完成させるものだと誰もが思ったが、そのバンド演奏にオーケストラが後で加わり、同時に演奏した作品にする、という企画だった。そこで「三管編成※」のオーケストラとポップスができるひと、ということで私に役が回って来たようだった。

 ベースはボレロだった。ところがポップスのひとが感じるノリとクラシックのひととは違うところに戸惑いがあった。オーケストラのメンバーが合わせてくれた。
 ベースから各楽器の対旋律まで全部の楽器が良く鳴るように私は書き加えた。そして幾つかのポイントは、編集ボタンの瞬間操作でミックスした。失敗したら第一回の放映に間に合わなくなる、というスリルのなかで(故)小松一彦氏・楽団全員・音声(技術)さんの一致団結で完成させた・・・45年前のことを思い出させてくれた。

 ※「三管編成」=古典派時代の編成より管が基本三本ずつに増え、打楽器群・ハープなども加わった大規模なオーケストラ編成のこと

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