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カテゴリー: 文化事業 /CULTURAL PROGRAM

朗読の新次元

 私が公立文化施設の文化事業でアドバイスをした団体の育成で、最も成功したジャンルは「朗読」だった。音楽団体でないところが凄いと思った。
 越谷市の「パレット」という公民館からいくつもの団体・個人が飛び立って行った。

 この4月に、非公式ながら仲間が集い、その成果発表を20年ぶりに私に見せてくれた。中心的な人びとは滑舌や発声などの基礎レーニングを経た後は、AIに替われるような読み聞かせでなく、全身を使った身体表現を展開させ、聞く人びとを圧倒させていた。

 大体、朗読といっても基本はコミュニケーションだ。「読み聞かせ」とは妙な命名で、本当は「読み聞き合い」のはずだと私は思っていた。話の内容が、話し手は聞き手の心と交流し合いながら進んでいくものだからだ。落語の演者と聴者のコミュニケーションなど見事な空間を生み出している。
 朗読仲間は、演劇・音楽表現・パントマイムなど、あらゆるトレーニングに挑戦してきた。だから既成の朗読を知っている人びとは仰天するほど表現が豊かで驚かされる。

 この女性の朗読仲間の猛者は、以前東京である団体の芸術ステージ・オーディションに参加したことがあった。小さなステージではあるが、そして朗読用の本は手に持っているが、ステージ全体を使って表現していた。三名の審査員は、誰一人顔を上げることなく、困り切った顔をしていたが、出演した人びと全員が合格通知を受け取った。

 その後大きなステージの話を貰ったようだが断り、夜中の TV番組に呼ばれたりしたが調子に乗ることなく、自分たちの住む街の中でのボランティア活動に精力を傾けて来ていた。

 これぞ朗読、朗読だけでない地域文化の「新次元」だと、私は誇りに思っている。

サロンコンサート③

 サロンコンサートの成否の鍵は「開かれているか」どうかにある。プライベートな企画は資金の裏付けからして簡単明瞭だ。主宰者と客の関係で成果は決まる。

 医院の先生がポケットマネーで演奏家を集め、仲間や近所の人を集めて演奏会を開催した時期が松戸市であった。サロンコンサートといっても立派な音楽会だ。しかし主宰者と先生仲間、先生と演奏家は口をきくが、そこから会場の仲間と口をきくことは無かった。
 どんどんプライベート化していって、音楽を愛する仲間が増えることは無かった。

 大都市から離れた医療施設で、街の人びとが集まって音楽を楽しむスペースもあると聞いている。その主宰者は知っている先生だが、私は直接会場に伺ったことはないので、不確かなことは記せないでいるが、地域の人びとに愛されているということは、人びとの心も演奏する人びともパブリックなのだと思う。
 音楽の修行はプライベートな厳しさがあるが、人びとと共有する音楽のひろばでは、お金の問題は別にしてパブリックな心がないと拡がらないのが現実だとも思っている。

サロンコンサート②

 この頃、喫茶店や公共施設のロビー(市役所の昼休みのロビーなど)で演奏会が企画されることが多い。演奏者のお喋りも上手い。通りすがりの人が気楽に聴ける時代だ。私たちも東京タワーで、通りすがりの人びとも楽しめる演奏会を企画して来た。

 演奏家は、出来るだけ多くの人びとに聴いて欲しい。(ホントは)無料でもいい。しかしハナからタダで演奏しろ、と言われてはプライドがあって嫌だ。でもステージがあれば出たいし、褒めてもらいたい(拍手が何より嬉しい)・・・そこを理解して企画を進めていただければ、演奏者の、地域の財産になるのだが、結構演奏者との交渉は難しい。

 古民家でコンサートが開催される企画が全国の其処彼処で見受けられるようになった。観客の差し入れ・持ち寄りのお茶菓子で演奏の合間に人びとの交流が湧き上がる。

 静岡の古民家に伺ったことがあった。村の人びとが時間になると車で集まって来る。
音大関係の出身者が見事な声楽アンサンブルを聴かせる。一方、ピアノを習って半年だという体育の先生が間違え、止まりながらも引き続ける。終わると暖かい拍手に包まれる。主宰の好調(校長?)先生が得々と喋る。奇妙な手作りコンサートに出会った。これも地域文化の振興なのだろうと思った。

 音楽を学んだ人びとは、数名の聴衆から始めたこの種のコンサートが、自身の音楽活動の原点になっていることが良く見受けられる。そこに秘密があるのだろう。

サロン・コンサート①

 昭和の時代、1960年頃に早大の教授夫妻が企画した「サロンコンサート」が話題になった。音楽のあるサロンでの社交の場でもあった。しかも鹿鳴館の交流とは違った、音楽による仲間同士の広場を提供していたようだ。

 そのひろばに音楽を社会で活かし合う原点があったように私は思った。
リサイタルと称して、何十、何百人も集めなくていい。少ない人数でも、音楽を聴き、仲間と語り合う一時を持つ。その流れから、人びとがつながっていくからだ。

 音楽家がサロンや何処か開放的な空間で演奏する機会はこの頃増えた。駅やホテル、文化施設のロビー、公共施設の一角など、地域に合った小さなコンサートが増えてきた。ポップスの路上演奏会は昔からあった。クラシック音楽が「聴かせる」音楽から、聴衆と「つくり合える」手立てを講じていれば、もっと身近になっただろうが、どうしても「聴かせたい」訓練を受けてきた人びとには、音楽を生かした社会での聴衆も参加できる「即興」が入り込む余地はなく、壁が残ってきてしまったようだ。
 突然、音楽に参加しろ、と言っても無理なことだ。誰でも情報や経験がないと提案にはのれないものだから。そこで小学校などで「音楽づくり」などの機会や時間がある。そこから音楽家が自分の世界に誘える創造の場への機会や提案があれば、音楽家がもっとこの種の「ひろば」から文化の創造へとつながって行っただろうに、と私は思ってきた。

音大卒生の行方

 45年前に音楽雑誌に私が書いた内容は今も変わっていないようだ。


 四年制音楽大学だけでなく、専門学校、短期大学を含めると、年間1万人以上の人びとが音楽を得意とした職業につくことが可能な学習を得ている。ところがほんの一部の人を除いて、それを生かすことなく卒業後は特技を眠らせたママの生活をしている。
 音大の教育の柱は、優れた次世代を担う人材育成である。その核がピアノ・声楽・器楽の演奏に於ける、より優れたステージを目指すことが根底にある。勝ち抜き戦を生き抜いたチャンピオンを目指していて、その他は学校や自宅での教職に役立てる以外なかなか活躍の場が見出せないでいる。

 四半世紀前ごろから、アートマネジメントなどを通して音楽を社会で活かす術が湧き起こってきた。その道の専門家が指導して、卒業生も成果は上げてきたように思われたが、学生が育ててもらう段階で、どう音楽も社会もつくられていて、それを活かすことが出来るかという手立てが弱いママ就職に応用しようとしたため、出口(就職先)も少なく、悪戦苦闘することになったようだ。音楽専門の指導者が旧泰然とした教科に添ったレッスンが中心だったから、無理があったと言える。

 教えるということは、自分が学び、理解し納得したなかから次世代に伝えることから始まるし、師弟の人間関係も大切だから、枠を飛び出した応用は挑戦しづらいこともあっただろう。しかし時代や価値観、ニーズはドンドン変わって行くので、新たな創造的音楽活動と社会との結びつきを生み出さないと、異なる価値観の人びととの交流や認識が拡がっていかないように思われる。
 音楽も、社会も人間関係も平和も「つくる」という仕組みを根底に置いたシミュレーションは今も昔も変わらず必要だと私は思っている。

歌のひろば②

 一握りの声楽家以外、1時間ものステージを歌い続けて聴衆を魅了できる人はいない。一般的な声楽家のステージで、前半・後半と分け、途中休憩を挟んで2時間のステージは暴挙だ。本人の音楽力や体力も大変だが、聴き手の辛抱は限界を超えているからだ。
 せっかく切符を買ってホールにいらしていただいたのだから30分では高すぎる、と思われることもあるようだが、結婚式など全ての祝辞に共通する話だが短いに限るのだ。

 広場で、自分も歌うが、参加者と一体になって歌い合うことや、参加者の歌を聴いて楽しむことが加わっていれば素晴らしいのだが、それは無理な話のようだ。
 聴衆は聴く役だと思っているし、歌い手は自分の世界を披瀝して拍手をいただくモノだという概念から抜け出せないからだ。
 でも歌い手の元に人びとが集まり、一緒に歌い出したくなる環境もあり、みんな楽しく一体化できる広場があることが素晴らしい、と思っていたがなかなか賛同する人が少なかった。これからそんな広場が当たり前になっていくと思っているが・・・

歌のひろば①

 リサイタルには固定イメージがある。歌のリサイタルに絞って話そう。
 誰もが想像するリサイタルは、二千人のコンサートホールは別格として、数百人の座席数のホールで、男性は燕尾服、女性は結婚式のようなロングドレスで、90分前後のレパートリーを歌う会だろう。
 夢のようなひと時を共有できるスペース・・・と思っているのはステージで歌う人。義理と人情で成り立っているコンサートがほとんどだ。30分以内なら我慢できるところだが、人の迷惑を考えないで、自分の価値観を多くの人びとに押し付けたい人には、なかなかそのヘンを気付くことが少ない。

 今はステージの上で歌いまくり、拍手喝采を糧にすることは、時代錯誤だと言える。勉強の成果を発表するには時代の空気を読んだ方がいい。質のいい情報がメディアから日常的に確保できる時代に、スターの真似をする価値は薄い。

 「ひろば」でいい。サロンや(許可を貰って)ロビーでもいい。持ち運ぶ可能な伴奏楽器か、パソコン音源でもいい。五人でも十人でもいい。自分の歌はオープニングに1曲。後半オハコを1曲。フィナーレに1曲。アンコールがあればもう1曲で十分だ。回数を重ねて「また聴きたい、一緒に歌いたい」人が増えていけば、ステージでの交流もあるだろう。

 その3曲プラス1曲の合間に、参加者と歌うこともできる。主役の歌い手が「聴き手」になることや、同じ歌う仲間になってコミュニケーションをとることが社会活動としてならば大切なのだ。「雲の上の人」になって聴かせるだけがいいわけではない・・・というアイディアを話すと、歌う人は飛びついて賛同する。しかし結果は切符を売って、スポットを浴びて2時間も歌いっぱなしの企画になってしまう。何かヘンだ。

学校と文化会館

 学校は教育の場だから「教育プログラムを持っている」という言葉は相応しくない。一方、文化施設は教育機関ではないから、その言葉は越権行為になることもある。当然次世代の育成を考えてだが、大きな違いがある。

 学校は「教育」としてカリキュラムが組まれている。だから手順や教材も決められている。一方文化施設は学校でないから、参加者を教育として指導することはない。多くの場合は「サーヴィス・プログラム」である。一回つまらなかったら来なくなるから、面白く、可笑しく、楽しく遊ぶスペースになっている。そこに成果を求めるというよりは、音楽が好きになってくれた、文化会館のステージ企画に来てくれた、というポイントが優先される。

 学校と社会が連動して、文化芸術が教育というニオイから外れて、連続する活動から質が高くなっていく、というプログラムはなかなかできないでいる。

そこに学校と社会との垣根を超えて文化芸術が深く理解・応用ができればいいのだが、様ざまな価値観や生活感を持っているだけに、その活動に筋が入った連続性は望めないでいる。

 簡単な話し、社会の芸術プログラムは、教育・メディア・音楽・(時には)子どもの専門家がブレーンとなって挑戦し続ける必要があるのだが、なかなかそこに到達していない。これからの時代に自然と組み込まれていくだろうし、私はそれを期待している。