Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

投稿者: Katsuhiro Tsubonou (Page 1 of 13)

サロンコンサート②

 この頃、喫茶店や公共施設のロビー(市役所の昼休みのロビーなど)で演奏会が企画されることが多い。演奏者のお喋りも上手い。通りすがりの人が気楽に聴ける時代だ。私たちも東京タワーで、通りすがりの人びとも楽しめる演奏会を企画して来た。

 演奏家は、出来るだけ多くの人びとに聴いて欲しい。(ホントは)無料でもいい。しかしハナからタダで演奏しろ、と言われてはプライドがあって嫌だ。でもステージがあれば出たいし、褒めてもらいたい(拍手が何より嬉しい)・・・そこを理解して企画を進めていただければ、演奏者の、地域の財産になるのだが、結構演奏者との交渉は難しい。

 古民家でコンサートが開催される企画が全国の其処彼処で見受けられるようになった。観客の差し入れ・持ち寄りのお茶菓子で演奏の合間に人びとの交流が湧き上がる。

 静岡の古民家に伺ったことがあった。村の人びとが時間になると車で集まって来る。
音大関係の出身者が見事な声楽アンサンブルを聴かせる。一方、ピアノを習って半年だという体育の先生が間違え、止まりながらも引き続ける。終わると暖かい拍手に包まれる。主宰の好調(校長?)先生が得々と喋る。奇妙な手作りコンサートに出会った。これも地域文化の振興なのだろうと思った。

 音楽を学んだ人びとは、数名の聴衆から始めたこの種のコンサートが、自身の音楽活動の原点になっていることが良く見受けられる。そこに秘密があるのだろう。

サロン・コンサート①

 昭和の時代、1960年頃に早大の教授夫妻が企画した「サロンコンサート」が話題になった。音楽のあるサロンでの社交の場でもあった。しかも鹿鳴館の交流とは違った、音楽による仲間同士の広場を提供していたようだ。

 そのひろばに音楽を社会で活かし合う原点があったように私は思った。
リサイタルと称して、何十、何百人も集めなくていい。少ない人数でも、音楽を聴き、仲間と語り合う一時を持つ。その流れから、人びとがつながっていくからだ。

 音楽家がサロンや何処か開放的な空間で演奏する機会はこの頃増えた。駅やホテル、文化施設のロビー、公共施設の一角など、地域に合った小さなコンサートが増えてきた。ポップスの路上演奏会は昔からあった。クラシック音楽が「聴かせる」音楽から、聴衆と「つくり合える」手立てを講じていれば、もっと身近になっただろうが、どうしても「聴かせたい」訓練を受けてきた人びとには、音楽を生かした社会での聴衆も参加できる「即興」が入り込む余地はなく、壁が残ってきてしまったようだ。
 突然、音楽に参加しろ、と言っても無理なことだ。誰でも情報や経験がないと提案にはのれないものだから。そこで小学校などで「音楽づくり」などの機会や時間がある。そこから音楽家が自分の世界に誘える創造の場への機会や提案があれば、音楽家がもっとこの種の「ひろば」から文化の創造へとつながって行っただろうに、と私は思ってきた。

音大卒生の行方

 45年前に音楽雑誌に私が書いた内容は今も変わっていないようだ。


 四年制音楽大学だけでなく、専門学校、短期大学を含めると、年間1万人以上の人びとが音楽を得意とした職業につくことが可能な学習を得ている。ところがほんの一部の人を除いて、それを生かすことなく卒業後は特技を眠らせたママの生活をしている。
 音大の教育の柱は、優れた次世代を担う人材育成である。その核がピアノ・声楽・器楽の演奏に於ける、より優れたステージを目指すことが根底にある。勝ち抜き戦を生き抜いたチャンピオンを目指していて、その他は学校や自宅での教職に役立てる以外なかなか活躍の場が見出せないでいる。

 四半世紀前ごろから、アートマネジメントなどを通して音楽を社会で活かす術が湧き起こってきた。その道の専門家が指導して、卒業生も成果は上げてきたように思われたが、学生が育ててもらう段階で、どう音楽も社会もつくられていて、それを活かすことが出来るかという手立てが弱いママ就職に応用しようとしたため、出口(就職先)も少なく、悪戦苦闘することになったようだ。音楽専門の指導者が旧泰然とした教科に添ったレッスンが中心だったから、無理があったと言える。

 教えるということは、自分が学び、理解し納得したなかから次世代に伝えることから始まるし、師弟の人間関係も大切だから、枠を飛び出した応用は挑戦しづらいこともあっただろう。しかし時代や価値観、ニーズはドンドン変わって行くので、新たな創造的音楽活動と社会との結びつきを生み出さないと、異なる価値観の人びととの交流や認識が拡がっていかないように思われる。
 音楽も、社会も人間関係も平和も「つくる」という仕組みを根底に置いたシミュレーションは今も昔も変わらず必要だと私は思っている。

トゥーランガリラ交響曲

 アンサンブル《ヴェネラ》というアマチュア・オーケストラをご存知でしょうか?

 2014年に都内のアマチュア・オーケストラ奏者を中心に結成された演奏団体で、現代音楽作品を採り上げたプログラムで活躍している(ということを、今回私は初めて知った)。

 20世紀の名曲、  O・メシアンの「トゥーランガリア交響曲」を演奏するというので聴きに行った。アマチュアが80分に及ぶ大作・難曲を演奏するなんて、私の若い頃には想像もできなかった話だから、成果に対する期待は半信半疑だった。

 結論から言うと、凄まじい世界を展開させていた。プロとアマの差は何処にあるのか分からないほど、水準の高い演奏にまとめ上げていた。演奏者が音楽を分かって演奏していて、日本の音楽文化水準の高さを自慢する成果だったと思った。

 メシアンの孫弟子にあたる夏田昌和の指揮、ピアノの大須賀かおり、オンド・マルトノの大矢素子の演奏も素晴らしく、私にとっては、近年最高の名演のひとつとだと思った。

アマチュアの演奏会

 実績・伝統のあるアマチュア団体の文化会館での演奏会だけではなく、喫茶店や古民家、ホールのサロンで開かれる演奏会まで、機会を見つけては全国何処にでも出掛けって行って聴かせて貰っている。助成金財団の資料としても必要でもあるが、音楽の生まれるスペースが好きだから、予定が合う限り参加することにしている。

 この頃アマチュアの演奏会は多極化している。出来はともかく、一年間頑張った地域の文化を発信することに意義があるような会、自分たちが楽しむために集まって発表し合う会、地域の文化育成・次世代育成・音楽による地域文化振興の一助として実績を生み出している団体から、プロの領域に入っている、と思われる世界へ誘ってくれる団体まである。

 この頃、近代・現代の作品も取り上げられる様になった。 R・シュトラウス、ブルックナー、ストラヴィンスキー、ショスタコーヴィッチなど、普通にプログラムに組み込まれる様になった。隔世の感がある。古典派・ロマン派でない20世紀の音楽も大いに取り上げて欲しいと願っている。

新年度に

 桜の季節、新年度になりました。

 相変わらずな音楽生活で、新年度を迎えたことになりました。

 この一年、名誉職以外退かせていただきながら、個人的な音楽生活を継続させていただいてきました。しかし私も「喜寿」だそうです。その節目の自覚はありませんでしたが、10年前と同じ様な活動は、体力的にイメージ通りには行かなくなりました。

 歳を取ると、今まで見えなかったモノ、聞こえなかったモノが分かり、逆に今まで見えたり聞こえたり消えたりしています。しかし、ブログは社会的にも色々な条件がタイムリーでなければ、年寄りの繰り言になってしまいますので、そこを抑えて言い残したことを今年度は少々掲載させていただこうと思っています。

 音楽会には、プロ・アマの企画や、ホール・サロンなどの区別は無く、時間を見つけては全国を歩いています。面白い音楽やひとと出会ったりしています。今年度も素晴らしい音楽の出会いがあることでしょう。

 音楽を愛する全ての人びとに感謝と「乾杯!」。

あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます。

今年も作曲・地域文化振興に邁進してまいります。

早速、3月に二日続きで演奏会がありますので、お知らせ申し上げます。


東京タワー文化フェスティバル VII
TOKYO TOWER ART FESTIVAL
2024.3.9(土)


東京タワー文化フェスティバル VII @紀尾井ホール
World Collaboration Concert IV
2024.3.10(日)

ISMNコード

数年前、一般社団法人・日本ISMNコードセンターという組織を私も含めて立ち上げた。日本の音楽作品(楽譜・資料)が世界各国共通のコードナンバーで検索・購入出来るシステムだ。

 出版社の出版作品はもちろん、個人で登録すれば世界中の人びとに自作を届けることができるようになったのだ。現在世界90カ国で可能だが、将来的にはもっと多くの国々に広がることだろう。

 

 この種の芸術文化におけるコンテンツ産業の輸出は、国の予算で応援していることが多いのだが、日本ではまだまだ支援の手は伸びていない。出版社や作曲家の実績も問われるから、成果はこれからになるだろう。

 さて、作曲家はどのくらい積極的に参加するだろうか?コードセンター・出版社・作曲家の中間に立ち、個別の相談役に私が入っているのだが、暫し動静を見てみたいと思っている。

 (一社)日本コードセンター

  ℡ 03-3455-6881

    http://www.ismn.jp

活動休止のお知らせ

 特定非営利活動法人 日本現代音楽協会(略称=現音)内組織・現代音楽教育プログラム研究部会(部長:坪能克裕)は、2022年度事業で現音内での活動は休止することにしました。

 1990年頃から、作曲家・音楽教育・演奏家の有志と創造的な音楽活動(音楽づくりを中心に)を展開し、91年秋には「東京現代音楽祭」(大会会長・三善 晃、大会プロデューサー&事務局長・坪能克裕。第16回音楽之友社賞受賞)で“子どもの音楽世界大会”を開催し、その後小学校だけでなく公立文化施設でも活動を拡げ、2001年には ISCM国際現代音楽祭・横浜大会で「こどもみらい2001」を開催し、世界の仲間と音楽づくりをしてきました。それを機に現音内組織として「現代音楽教育プログラム研究部会(英語の略称=EPCo M、初代部長=坪能克裕)が発足しました。
 以来 22年間、学校(小中学校・大学)・文化施設で活動を展開してきました。また作曲家が社会に開かれた社会貢献が叶うプログラムを持つチームとして実績を上げて来ました。

 最近は作曲家の有志個人が、「新しい音楽教育を考える会=代表:坪能由紀子」で作曲家・演奏家・音楽教師や音楽の専門家と組んで( TASモデル=教師・アーティスト・サポーターの略称)活動するようになりました。その成果は英語のジャーナルや論文となり、世界50数カ国の人びとの資料になり、各国で実績を上げるようになりました。組織通しが結びつき活動するというより、個人が企画に応じて任意に結びつき展開可能な時代になった、ということでしょう。

 現音としての活動にご助力をいただいた多くの人びとに感謝申し上げます。なお本活動自体は継続しております。アマチュアの音楽家でも、ご興味のあるかたは「新しい音楽教育を考える会」の Web サイトから活動概要をご覧いただき、新たな活動にご参加いただくことも可能です。

続・コスモス200

 以前、本欄でNHKの委嘱・製作・放送初演された拙作の電子音楽「コスモス200」のマスター・テープを紛失された話を書いたことがあった。
 90年代、ある教科書会社の小学校・音楽1年の鑑賞教材に採用されたことがあり、レコード製作のスタッフにオリジナル・テープを預けたことがあった。「星の音楽をきこう」という副教材で、ハイライト版として5分程に編集した時のことだった。厳しい管理の中なのに、コピー後にどういうわけかマスター・テープが消えてしまったのだ。
 二度と聴けないと思い、心底落ち込んでしまっていた。
 ところが NHKの製作スタッフが保管したマスター・テープがあったのだ。そのテープにより、この度全曲版の CDが一般発売され、誰でも聴けることになった。嬉しい限りだ。

 83年から84年にかけて、東京大学野辺山電波観測所にも伺い、毎週 NHKの電子音楽スタジオに通っていた労作だ。40年振りに再会した世界だった。

 ビックバンから現代の時間までと、夕方から朝方までの12時間を同軸に縮小して、地球の窓に飛び込む銀河からの星の音(パルサー)をキャッチした音楽だ・・・遠い星や古い星は、ピコン・ピコンと歌い、若くエネルギーのある星はブルブルブルとオートバイのエンジンのような音になっている。真夜中は、一つ一つ異なる星たち(パルサー音)の大合唱になる。そして明け方になると星の輝きが薄れて行き、ドーン・コーラス(暁の合唱)が空間を埋める・・・

  NHKの技術の人びとが凄い。70年のスタジオでの製作歴史は、世界に誇れると私は思う。是非みなさまも一度お聴き願いたいと思っている。

下記のリンクをクリックすると試聴可能なCD販売サイト「音の始源を求めて」に移動します。

https://sound3.buyshop.jp/items/72764961

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