坪能 克裕 公式ウェブサイト Ⅲ(2001〜)

Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

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コミュニケーター

 コミュニケーターとは人びととコミュニケーションをするリーダーのことで、地域の文化施設の文化事業と町の人びととを結びつける役のひとのことを言います。企業の活動ではなく、文化事業の市民リーダーという意味の造語です。

 この原型は96年ごろから越谷サンシティホールで展開された、市民のリーダーによる「歌のおねえさん・おかあさん」の活動にあります。歌うおねえさんではありません。歌い合うことで市民同士がいろいろな時や場所でコミュニケーションを生み出し、人びとや情報の交流が狙いなのです。ですから動く“リサイタル・スペース”ではありません。集う人びとが楽しく歌える環境をつくり、異なる価値観を認めて、ひと時歌い合える「ひろば」を大切にする、という企画なのです。要は歌わせることの方が大切なのです。そしてコミュニケーターとはその名称なのです。これは十年程前に多可町のヴェルディー・ホールの活動で実際に使った言葉です。

 ところが現実には、どんなに説明しても、 実践を体験してもらっても、モデルケースをつくっても、狙いに合ったところを褒めても、全然趣旨が伝わらないことには参りました。自分が輝くことが一番になってしまうのです。集まった人びとを輝かせる手だてが言われても思いつかない、という現実があったようです。
 音楽の師弟の育成は、より高度な技術を身に付け、より広く高いところで、より輝く訓練を受けさせることも大切で、そこから抜け出せない現実があったようです。構造的はそこが問題なのでしょう。歌うことで、いや楽器をもっても参加する人びとが輝くという時代のコミュニケーターが今一番望まれているのだと思われます。

協創時代 ②

 日本で最も古く、国際的につながりのあるクラシック系の作曲家団体「日本現代音楽協会(略称:現音)」の会長職を、08年から5期お引き受けしたことがあった。歴代の会長(旧称:委員長)とは異色な理事(旧称:委員)であった。それは作曲家としての実績よりプロデューサーとしての活動が多かったからだ。しかし立候補制ではないのに多数の理事が推薦してくださった理由は、91年に現音創立60周年記念「東京現代音楽祭」のプロデューサー兼大会事務局長を引き受け、作曲家の活動領域を拡大させたからだろう。当時の大会会長の故・三善 晃先生は大会の副題に「おててつないで花いちもんめ」とあそび言葉を加えて下さった。要は子どもから大人まで、音楽のジャンルも超え、世界の友と交流するコンセプトだったのだ。それは「協創」の原型であり、新たな時代の創造に会員諸氏の支持をいただいたのかもしれない。

 作曲家は個人営業で、自作の力で多くの人びとと結び合っていることは今も昔も変わりはないのだ。その団体が作曲を通して世界と文化交流することは当然で、01年には「ISCM世界音楽の日々 横浜大会」が開催された。しかし現代では、それに加えてプロの音楽家(作曲家)が社会の人びとや次世代の子どもたちや、特に社会的な弱者にどうサポートするか問われていて、その活動も大切なのだ。個人だけでなく、団体としての使命が求められているはずなのだ。そこで90年以降の活動を充実すべく、日本でも初めての「音楽教育プログラム」をもつ活動チームを01年以降立ち上げ、学校や社会で活動を開始してきたのである。学校の子どもたちや市民との「協創」が展開していく時代が生まれたのだと思った。

協創時代 ①

 四半世紀前から拙作に「みんなでつくる」音楽活動が増えて来た。協働ではなく「協創(Creative collaboration)」というコンセプトだ。

 それはただ人びとが集まり、思い思いに音楽をつくるのではなく、一つのテーマを全員で共有し、プロもアマチュアも障がいのあるひとも、同じ目線で自分の技量と表現で、智恵を互角に出し合ってつくりあう工房、を意味していた。だから成果をあげることだけに意味があるのではなく、つくり合っている時の生きた音楽に意義があるのだ。もちろん発表の機会を否定しているわけではない。その優劣を競うことに意義があるわけではないからだ。

 企業なども同じキャッチを使っている活動を見たことがあったが、私の意図は技術の無い、社会的に弱いひとでも、過去の大作曲家と一体感が持てて、誰とでも仲良くなっていい音楽がつくれる、という意味の「協創」なのである。

 これまでに成果を発表したのは、 96年に「みんなでつくるシンフォニー」があった。東京フィルハーモニー交響楽団と子どもたちのワークショップでつくった音楽と、当日ご来場くださった市民のみなさんとつくった音楽。98年の「みんなでつくるコンチェルト」など、多くの人びととたくさんの音楽をご一緒させていただいた。協創はみんなのものだよ、という世界は民族音楽とは別の喜びがあって楽しくていいと思っている。

繰り返し

 CMでも使われる手だが、同じ言葉やリズム、アクションを繰り返す作り方をしていることがある。人は同じことの繰り返しが記憶に残りやすいからだ。但しやり過ぎると「くどい」と拒絶反応が生まれるので、ここでも昔から「仏の顔も三度まで」がいい。

 音楽の多くも一つのことの繰り返しでつくられていることが多い。全く同じ繰り返しは飽きられ、表現の薄さ、教養のなさ、耳につき過ぎるいらだちで、三回以上の繰り返しは効果がない。

 一つのメロディーを例にとっても、基のメロディーを繰り返しながら、他の人の手と違うテクニックで展開させることが、常に新しい世界を生み出してきている。そのテーマに対照的な話題のテーマをもう一つ提示させ、同一曲に共存させると新たな形式を生み出し、そのルールの中で話題は沸騰して盛り上がりの中で結論に向かうことが多かった。

 盛り上がらない、テーマを繰り返さない音楽もあるが、圧倒的に一つのテーマを繰り返しながら、手を替え品を替え如何に他の人と異なる表現でエクスタシーを感じさせたが、名作となり残ってきている。だから名作がひとつのことをどう繰り返しているか分析すれば、仲間どうしで「音楽づくり」では簡単なモチーフから超大作をつくることが可能なのだ。

 もちろん数パーセントのオリジナルが生まれるためには、繰り返すというコンセプトからみんなで他の音楽との差異性など考える必要はあるのだが・・・

東日本大震災とハートライン

 東日本大震災が起きた一ヶ月後、私は宮城・福島を歩いて回っていた。音楽家でも自分の肌・耳目でこの大災害に触れることは大切だと思ったからだ・・・空気のニオイが厳しかった。 いつもは聞こえない音が鳴っていた。人びとの様々な命が重なって無音の中でも渦巻いた響を感じた。それはTVでは伝わらない世界だった。そして「災害支援」の旗・幟(のぼり)・横断幕を掲げたトラックが長蛇の列をなして街に入っていく様子は感動的な風景だった。そして地元の文化施設でお世話になり育ててもらった音楽家の人びとが「いま私たちに出来ることを手伝いたい」と、文化施設に多数の人びとがボランティアで訪ねて来たことには、深い感動を覚えた・・・

 災害の時に最初に復旧させるのは、水や電気、食料から道路などのライフラインだ。その次に必要なのはひとびととのつながり、「ハートライン」だろう。

 子どもが負った傷のケアも大人は考えている。県や市役所の関連窓口、学校の先生、地域の民生委員諸氏がそれぞれの活動をしている。プライバシーがあるから何とも言えないが、それぞれの役割に応じた活動であって、横の連絡も調整もないのでバラバラ感は否めない。

 それを公立文化施設などの講習会で提言して検討したが、どうハートラインが組めて、どんな活動が展開できるか優れた答えが出ないままでいるような気がしている。一つの決定的な答えでなくてもいい。悩みは災害に遭ったひとびとの数だけあるからだ。そのラインをみんなで考え共有すると、子どもたちに「やさしさ」がしっかり伝わるかもしれない。それが財産を生むことになると思った。

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