Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

カテゴリー: 音楽の仕組み・構造 / MUSIC-STRUCTURE (Page 1 of 4)

ホーミー・倍音

 30数年前、日本でそんなに歌唱出来る人がいない頃、私はモンゴルの民族歌唱「ホーミー」を学んで歌えるようになっていた。
 低音(ドローン)を口から響かせ、その上に倍音で異なる声部のメロディーを重ねる唱法だ。その響かせる身体のポイントは頭部や胸部など数カ所あるが、技術はともかく大草原の彼方と調和する素晴らしい歌唱になっていて、複数の同時歌唱を楽しんでいた。

 その倍音は「声明」にもある。お坊さんの集団音楽的読経だ。普通聴いていると経には違いないが、喉を絞って出す声には倍音が生まれていて、ホーミーのように高いところで別の音(歌)が生み出されてぶつかり合っていることに気付かされる。
 その倍音が私たちにはありがたいほど安らかな世界に誘ってくれるようだ。雅楽でいうと笙のような、空間を埋めながら、倍音から生まれた歌が空間の中で際立つように縁取って行く。可聴範囲を超えた倍音の重なり合いが、私たちを未知の音楽空間に誘ってくれているようだ。
 
 身近な例で善し悪しは別として倍音の多い音楽会の例を記して見る。それはヘタな合唱団、アマチュアのブラスバンドやオーケストラなどだ。つまりピッチが合わないところで音がぶつかり、倍音が多数出てしまう演奏がいいのだ。しかし基の響きが不安定な時は倍音で生まれる音の像が聞こえづらいかもしれない。

神経衰弱

 現代音楽の殆どは、テーマと変奏だ。同じ手の繰り返しでなく、一つのことをあの手この手で展開させていく。頭で組み立てた構造は、変容の限界を超えて拡がって行く。基がどうであったか思い出しては理解を先に進めるのは、個人の耳では神経衰弱でトランプをめくる思いと同じだ。

 サウンドやメロディー・リズムという概念が新しい、とこれまでとの差異性をアピールしているが、その殆どは過去の焼き直しである。新しく見せかけているのだが、そこに価値が無いとは言わないが、古すぎる新作が多いものだ。

 過去の作品を知らないのではないかと疑ってしまう新作もある。この頃はコンピューターを駆使した作品も多くなった。リアルタイムで生の演奏との即興も可能になったし、他の分野とのコラボ(舞踏や絵画など)も目新しく移るが、1950〜60年代の日本の先輩諸氏の作品に初出されていたりしている。
 それらと重ね合わせて評価することは、これまた神経衰弱に似ている。

 感性の限界、という意味もある。理詰めの音楽の面白さもある。ただ、どうあがいても構造を変えることは出来なかったようだ。また複雑になればなるほど、創作にも演奏にも、理解にも「即興」の領域が少なくなっていった。音楽の基にはそのあそびが残っていないと、誰も興味を示さなくなっていく。面白い神経衰弱が見つかれば、様々な参加が期待出来ると思われるのだが・・・

楽器開発③

 電子計算機や電子時計の一流会社、 C社が極秘に楽器を開発していた。何が新しくて、いい音なのか、という楽器製作者と私の闘いは、1980年の新楽器の発表まで続いた。音だけでなく「鍵盤楽器は鍵盤だけの平らな一枚でいい」という意見も私は持っていた。「入れ歯」を平にしたイメージの楽器だと、それを縦に積み上げたシンセサイザーになって使いやすいと思っていた。同時多発のようなアイディアは80年のカナダの楽器ショーで現実のものとなった。

 計算機や時計の製造販売会社が楽器を開発・発売を今後展開するには、「音大卒業生で優秀な人材が必要だ」ということになった。そこで「各大学の先生に優秀な師弟を紹介して欲しい」ということになったが、内容が秘密なのでどんな仕事が計算機や時計と音大生が結び付くのか説明が付かなくて困った事があった。
 もう一つ。秘密の役は、業績として表に出ない「裏方」の仕事で、口が堅くて呼ばれた仕事は、この仕事に限らず誰からも評価されないまま時間が過ぎて行った。

楽器開発②

 いい音、いい声は、波形の基音が明確だ。基音とそこからの倍音の組み合わせが個性を決めている。しかしそのいい音を集めたり重ねたりしても、音の豊穣さにつながらない。個性の無い音の束は単一色でしかない。

 個人でもアンサンブルする人びとでも、同じいい音(声)を持った人びとの団体は無個性になることが良くある。音や楽器の個性はノイズのような、ちょっと「困ったちゃん」の活躍が面白くさせてくれている。それは楽器だけでなく、他の分野でも共通する秘密のようだ。困ったちゃんを生かした仲間が新しい世界を創出できるということだ。だから困ったちゃんは堂々としていていい。

 同一色で透明な声を響かせる音楽も素晴らしい。芯のある音や声の仲間に、ダミ声やハスキーな声が入り、解け合い響き合っている団体の音楽はシンセサイズされた現代の響きになるようだ。
 「この音はいい音ではないのか?」という楽器開発での論議と評価には、常にその塩梅が必要とされるのだ。

楽器開発①

 いい音、面白い音、新しい音は必ずしも一致していない。しかし新しい電子楽器をつくるには、それらの課題をクリアさせる必要がある。
 電子キーボードは電子回路を使ったシンセサイズ(合成音)で出来ている。その回路づくりに各社の秘密がある。既成の電子オルガンもシンセサイザーと同じで、常に新しい素材の組み合わせで音が生み出されている。

 試作段階では必ず一つの音が「何故いい音ではないのだ」、という議論が技術者どうしで問題にされる。既成のアナログ楽器に似ていれば「いい音」だとも言える。しかしアナログ楽器にない、いい音の判定は難しい。既成楽器にない音だから面白い合成音としてユーザーに支持されることもある。楽音に無い変わった音は人の感性に支持されるか微妙な問題が残る。

 【サンプリング】という技術がある。ピアノやヴァイオリンの名器の音を記録し、鍵盤上に再構築する術だ。それは名器と区別が付かないほど優れた音に再生可能だ。そこに個性や新しさが何処まであるかは別問題だ。
 友人にオナラをサンプリングした人がいた。それでベートーヴェンの「運命」や「ぞうさん」を弾くと、それはそれで面白いが、その面白さは何にでも使えるかというと難しい問題になる。新しい音といっても、楽曲とのマッチングで生かされないと使われないことになる。

 楽音の原理は、純音・平形・矩形・鋸歯状波などの組み合わせだが、その塩梅具合なども製品の個性になる。新しくていい音の創造は簡単ではない。それぞれの波形を持った音が同時に響き合う組み合わせは、オーケストラやパイプオルガンと同じで、それらの波動がシンセサイズされた世界に人びとを誘わせてくれることになる。

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