Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

カテゴリー: 音楽の仕組み・構造 / MUSIC-STRUCTURE (Page 2 of 4)

大気を切り取る

 大自然は超低音から超高音までの組み合わせによるシンフォニーが既に鳴っている。時と場所や大気の環境・条件によって瞬時に変わって響かせているが、基本的には海底から高空まで揺らぎながらも音に埋まった壁のようなクラスター(房)に包まれ響かせているのだ。

 宇宙の場面の映像を効果音で聞かされることがある。ピュンピュン飛び交う音や、キィウ〜インとした高音が多いが、みんなウソである。空気の無いところでは音波は伝わらないからだ。無音ということだ。

 作曲という行為は、その大気の一部を切り取って人びとと共有することである。基はゆったりとした大気のながれのなかの音と触れることだが、それを瞬時に選び、選んだ人が音を組み合わせることにより、我々の耳に聴けるようにしていることをいう。だから切り取り組み合わせた人が、再度大気に呼び掛けると、一人の声でも、楽器でも、百人から千人の交響楽団の楽曲でも、自然のなかに解き放たれて一体化した瞬間を味わうことができるのだ。ここでは原理を言っているのであって、質の善し悪しやオリジナルを問うているわけではない。ロックバンドの音楽やオルガンなどの器楽曲、合唱から民族音楽など、人びとの好みや包まれ方は様ざまだが、人それぞれの自然との一体感の基は同じで、人びとは大気の揺らぎのなかで至福を感じるのである。

 拙作の混声合唱曲に、団員が三々五々ステージに集まって来て「大気のヘソを押す」行為から、それに短音の声を加え、次第に音が混じり合ってシンフォニーをつくっていく音楽があった。それは名演で、私は感激したが、誰もいいとは言わなかった。もう再演されることは無いだろうが、私は自然の中で常に自在な響きが生み出されているのを聴いている。

Simple is the best

 ベートーヴェンの「第九」。一楽章から三楽章まで優れた音楽が展開していく。そして第四楽章で、それまでの音楽を否定して「この音楽がいい」と低弦(コントラバス)で歌い始め、全奏者で謳歌し、それをソロと合唱で拡げて行く。
実にシンプルなメロディーで、誰もが一度で覚えて歌えるメロディーである。

「上を向いて歩こう」という歌が全米でも大ヒットしたことがあり、現代でも名曲として多くの人びとに歌い継がれている。ジャズをピアノで弾いても凄腕の作曲家・故中村八大氏の作曲だったが、何てシンプルなメロディーだろう。初めて聴いた時、私は何故か生意気にも「やられた」と思った。

 最近のポップスで複雑に聞こえる歌でも、実にシンプルなフレーズの繰り返しをしている歌が多い。そのシンプルな素材は、しかしどれも同じでなく差異性があるから新しい世界を聴かせて貰うことができる。その新しさをシンプルに受け止めて人びとは歌いつないで行く。

 シンプルな素材は可能性をふくらませて幾らでも複雑にすることはできるが、複雑な素材はシンプルにすることは難しい。
 古今東西のクラシックの名曲の多くは、シンプルなテーマの組み立てが多い。民族音楽でも同じようなことが言える。
  Simple is the best だと思う。

宇宙からの電子音楽

 「コスモス200」という電子音楽を創ったことがあった。それはNHKの放送技術と野辺山電波観測所のご協力で、 84年に NHKで製作し放送初演された。
 
 音源はホワイトノイズを切り貼りして組み合わせだけでした。シンセサイザーの鍵盤で創った音とはかなり違っている。音楽の内容は、星空を夕方から翌日の明け方までの12時間に固定した窓枠から見える星たちをそのママ音で一つ一つ再現し、満天の星が輝いた世界を表現したものでした。
 星には地球からの距離や星自体の温度などそれぞれに個性があり、その星たちのデータを数値化した資料から蘇らせたものでした。
 各星は自転で発するパルサーが異なり、近くの星は ブルルルル、とオートバイのような音になり、遠くの星はチコン チコン と間遠になり、様々な音が響き合っていました。

 80年代の後半から十年程、小学1年生の音楽の教科書(教育芸術社)に「星の音楽を聴いてみよう」という副教材として載っていました。それを教室でレコード鑑賞された子どもさんも極少ないけどいたはずです。もう社会に出て中堅の輝かしいお仕事をされている歳でしょう。その音楽を覚えていたら、その時の感想を聞いてみたいものです。

 原盤は NHKで、その保管はレコード会社に依頼しましたが、その後行方不明になってしまい、現在では幻の音源と言われています。唯一教科書に準拠したハイライト版の原盤が残っていて、それで原作の壮大な星たちの歌声の一部をかろうじて聴くことができるのです。

繰り返し

 CMでも使われる手だが、同じ言葉やリズム、アクションを繰り返す作り方をしていることがある。人は同じことの繰り返しが記憶に残りやすいからだ。但しやり過ぎると「くどい」と拒絶反応が生まれるので、ここでも昔から「仏の顔も三度まで」がいい。

 音楽の多くも一つのことの繰り返しでつくられていることが多い。全く同じ繰り返しは飽きられ、表現の薄さ、教養のなさ、耳につき過ぎるいらだちで、三回以上の繰り返しは効果がない。

 一つのメロディーを例にとっても、基のメロディーを繰り返しながら、他の人の手と違うテクニックで展開させることが、常に新しい世界を生み出してきている。そのテーマに対照的な話題のテーマをもう一つ提示させ、同一曲に共存させると新たな形式を生み出し、そのルールの中で話題は沸騰して盛り上がりの中で結論に向かうことが多かった。

 盛り上がらない、テーマを繰り返さない音楽もあるが、圧倒的に一つのテーマを繰り返しながら、手を替え品を替え如何に他の人と異なる表現でエクスタシーを感じさせたが、名作となり残ってきている。だから名作がひとつのことをどう繰り返しているか分析すれば、仲間どうしで「音楽づくり」では簡単なモチーフから超大作をつくることが可能なのだ。

 もちろん数パーセントのオリジナルが生まれるためには、繰り返すというコンセプトからみんなで他の音楽との差異性など考える必要はあるのだが・・・

音楽づくりと作曲家

 子どもや市民と作曲家が同じ目線で音楽をつくる、という活動は30年前には余り聞かなかった。まして学校の音楽室で一緒になって音楽をつくる、ということは考えられなかった。四半世紀前から音楽家が学校で生の演奏を聴かせる活動が盛んになった。本物の芸術を聴かせる、ということで演奏家は耀きの場に参加するようになった。
 問題は演奏家が主役で輝いて帰ってしまうことにあった。別に本物の芸術を提供したと思っている人びとを腐すつもりはない。ただ、学校では先生をサポートさせていただくことが大切で、その手だてによって鑑賞の感動が後に生かされると思うのだ。そこで最近の学校の音楽室で何が生まれているか紹介させていただく。
 「新しい音楽教育を考える会」の 『TASモデル』。そこで私は20年程前から「みんなでつくるコンチェルト」などのためにつくった「パッサカリア」のテーマで、教室の子どもたちとプロの音楽家がサポートした授業記録が Webサイトからどなたでも見ることができます。
 icme.jpから入り、「ジャーナル」の4号をご覧になると、約110ページの記録と動画に出会えます。

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