子どもは自分で考えて表現する術は、本来天才だと感心する程の力を持っている。創造は模倣からと言われているが、大人の方が物まねの段階で留まってしまっている人びとが多ようだ。そして子どもの可能性や子どもの新発見、新表現は、固定観念の強い経験豊かな大人が評価出来ないでいる。いや、潰してしまっていることが多いように思われる。
 ただ、子どもたちは情報量が少ないことと技術が未熟な点は否めない。そこを必要に応じてサポートして差し上げるだけで子どもは体得して自由に表現していくのだが、大人は子どもの幸せを願いすぎてお節介に向かうことが多いようだ。もちろん情報や技術というのは、何歳になっても常に習得していかなければならないし、精神的な熟成に早道や楽な手だてはないから大変だ。

 例を一つ。子どもに増音程など歌わせてはいけないし、歌えないとされていた。ましてそれをテーマに「音楽づくり」をするなど、絶対に無理だとも言われていた。譜例にあるのが1998年に小学校の子どもたちと音楽づくりをした時の拙作のテーマだ。20世紀の大作曲家がつくった十二音音楽を、いとも簡単に穫り入れてオリジナルを子どもたちの複数チームがつくりあげて行った。特に驚いたことは、子どもたちがチームを解散した後、テーマを歌いながら帰っていたことだった。それも歌いにくいとされる音程も正確にスキャットで歌っていた。

 声の出し方でも、画一的な教え込み出なくても、自分たちがカッコいいと思う表現で歌っている。ただどうしても評価を受けたりや褒められたい気持ちがあるので、大人の顔色を見てしまう機敏さが問題になることもあるが、子どもたちの自由な表現を黙って見聞きしていると、宝石の原石のような耀きで音楽を楽しんでいる場面に良く出会う。