Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

カテゴリー: 音楽づくり / MAKING-MUSIC (Page 1 of 3)

注釈譜③

 拙作「オカリナのためのコンベンション」の注釈譜
 ♪参加者全員が遠く離れたところから仲間と音の交信をする。みんなで決めた一つの音から聞こえる仲間の音から少しズレて(ハウリングを起こして)交信する
 ♪全員が中央に集まってくる。出会った仲間と即興で「会話」する
 ♪次第に遠くに仲間が離れていく

 音楽づくりの基は、一つのアイディアを、仲間どうしが考え、つくり合うことが核になっている。だから大切なことは、誰かが何かを強制したり、ダメ出しをしたりすることでなく、みんな考え(ルールもつくり)、聴き合い、楽しむことにある。
 故に時間が無い、金がない、自分たちで考えられないから、指導者が指示して決め、構成演出もリーダーが作ってしまうことがよくある。
 そして、この種の企画(作品)をリーダーに依頼すると、「作曲者は何もできないから、私(リーダー)が全部つくってあげたの」と言わしめてしまうことになる。誤解の音楽づくりの歴史が続くことはリスクとして残っている。
 しかしインストラクションの音楽の良さは、これから認められることになると私は信じている。

注釈譜②

みんなで輪になって「おはよう!」という言葉の音程で、みんなが同じ声で「あー」と出してみよう
その同じ音声をウェーブで回してみよう
隣の人と少し違う音を出して、みんなで全体の音世界を聴いて見よう
元の音に戻り、エッ という声で、様々な高音から低音まで使って、小鳥のように鳴いてみよう(パターンを考えて、同じフレーズを繰り返してみる)
歩き出して、広場全体を使って「即興で」仲間と(2〜3人ずつで)交代で「会話してみよう」
みんなが元の輪に戻って小さなウェーブをつくり、オーという声で強弱を即興でつけて、みんなの声を聴き合いながら歌ってみよう
次第に輪を広げて、全員仲間の声が聴こえなくなるまで広がったら終わり。
 

注釈譜の例である・

注釈符①

 昨年「日本ISMN コードセンター」という一般社団法人が、私も理事に加わり設立されました。世界の楽譜標準化推進支援とインフラ整備支援のために、経産省の人々や音楽産業の代表が加わり、また音楽家を代表して私も加わり、国際的な楽譜の用語統一や、それによる楽譜や楽書の検索が何処でも誰でも世界中から可能な整備をして行くことができるような、コンテンツ産業の一助になることを推奨できる組織として誕生したことになりました。

 その中で特筆されたことは、楽譜は五線紙で書かれたものだけでなく、図形楽譜、インストラクション(注釈)だけでも楽譜として認知する、ということでした。特にインストラクションだけでも、という私からの提案は大きな成果を生みました。「五線で記された音楽に忠実に」という概念から大きく広げられて行く決定は、言葉で書かれた内容で音楽が創造できて、多くの人々と共有できるということで、歴史的なことだと思われました。もちろん子どもでも創作できる世界が認められたということでした。

あけましておめでとうございます

 今年もご訪問いただいたみなさまの、ご健勝とご多幸をお祈りしています。

 1月9日の第三回「 World collaboration concert」を、私の音楽監督で

参加し紀尾井ホールで、また3月5日には東京タワーで開催します。

 私は助成団体の審査員から、文化事業の助勢まで、作曲を中心に活動を展開していきます。

メタバースの音楽

 50年ほど前、拙作のなかに図形楽譜の作品が幾つかあった。
 本 Web サイトの表紙の一部なっているが、ヴァイオリン・ソロの「スカイ・プロズム」と、ハープのための「リンの詩(うた)」がその例だ。

 「スカイ・プリズム」は、その名の通りプリズムを回すことによりまれる音たちを、演奏家が即興で感じ取り、表現していく音楽だ。
 プリズムだから三角錐の中に音たちが、ちょうど宇宙の星のように浮かんでいて、それが三角の面が回ることによって、星たちの存在が変化していく仕組みになっている。
 三角だから一つの時間軸をドレミのド、もう一つを5度上のソ、最後の軸を更に5度上のレに設定すると、ドとソの面から見た星たちが浮かんでくる。しかし次の面、ソとレの面から見ると、同じ音たちが違う音の場所にいることになる。またドとオクターブ上のレの面を見ると、また代わったポジッションの音の存在に気がつく。「仮想空間」の音との交流がそこにはある。音楽の三次元の創造に於ける表現だったが、半世紀たっても誰からも理解してもらっていない。埋没したママか、眠ったママか、とにかく拙作の一番の自信作だが、なんの評価もされないママ時が過ぎて行った。

 子どもの「音楽づくり」など最適だと思うのだが、この仕組みを理解していただくことは、なかなか難しいようだ。
 なお、文中の拙作が二曲入った CD はフォンテックから発売されている。
 <FOCD2570>

イントロ勝負

 「イントロ当てクイズ」という音楽番組のコーナーがあった。数秒聞かせて回答者がタイトルを当てる企画だ。よく当てるマニアがいてびっくりしたことがあった。タイトルも大切だが、イントロは作曲者や他との差異性が出て、作品の生命線にもなっている。

 作曲家がゲストで議論に加わる企画など良くある。自己紹介でも、議題の扉での意見でも「爆弾発言」をする人が結構いる。イントロが大切なようだ。良く聞くと、中身は大したことではなくても、その後は普通の意見になっても、冒頭部の切り込みが面白い。作品を書くことと同じような人もいる。

 名曲の冒頭は、必ず爆弾導入かというとそうではないが、しかし静かに始まっても音楽構成(表現)は爆弾発言のような展開に広がっていく。

白蝶(はくちょう)の湖

 以前本ブログで、名村 宏作詞の合唱曲「蝶の谷」の話を書いた。その続編というわけではないが、ピアノ曲で「白蝶の湖」という曲があった。白蝶は美の化身であるという物語もあるが、おとぎ話に意味があるのではなく、変奏する姿(音楽)に意味があった。しかし日の目を見ないでとうとうオクラになったママになっている。

 それだけではない。三絃の独奏曲で、言葉あそびのテキストを語り弾きする音楽で、シャレも含んでいて私は大いに気に入っていたが、演奏家は嫌ったママでいる。

 言葉あそびを伝統的な奏法の演奏でシャーシャーと歌い上げ演じると面白いのだが、演奏家の誰もが賛同しなかったことになった。

 合唱曲で低音の唸り声から始まる奇妙な世界を描いたことがあった。唸り声と叫び声から広がる音世界は斬新な表現で私はすっかり気に入っていたが、声楽を学んだ人びとにはヒンシュクだった。結局誰もステージには乗せてくれなかった・・・結構私が納得した音楽でボツになったモノが多いという話だ。

 ボツ作品だけでリサイタルをやったら私も聴者も大満足だと思うが、その道の達人諸氏に受け入れてもらえない音楽は、やはり日の目を見ないことに意味があるのかもしれないとも思っている。

現代音楽の衰退

 音楽の最前線を表現するコンテンポラリーは無くならないだろう。世界の音楽の1%以下のファン数になっても、全作曲生産の0コンマ幾つかの数になっても、生き残っていくだろう。それは人智の音楽の極限からの叫びを求める人びともいるからだ。音楽世界の新次元は何時の時代でも望まれている。

 ただ聴者は増えていない。ファンは偏っているようだ。その最大の問題は、私も含むが「音楽の構造の秘密」と「聴き方」への誘いの努力を怠ってきたからのようだ。どこをどう聴いて、何を理解したらいいのか、その手ほどきや案内に精力を使わなかったことが問題だったようだ。だから最初は面白そう、変わっている・・・でも何回も聞きたくない、分からないのは自分の恥だ、と思わせたことが衰退に向かった理由の一つだと思われる。

 音楽系の大学や専門学校の先生も兼ねたひとは、切符を学生に売りつけたり、自作の作品発表に関する感想文の提出で出席や単位を出したりしていては、若い人びとの嫌悪感だけが残ってしまうことになってしまう。

 どうつくられていて、今までと(他人と)どう違い何が面白いと思っていたのか、言葉でも伝える努力をしないと、もっと衰退してしまうようかもしれない。

簡単なこと

 ひとは簡単なことができないことがある。演劇でもアマチュアは簡単な仕草ができない壁がある。プロは難しいことも簡単に演じてみせる。ちょっとしたことの差はとてつもなく深くて広い。

 昔、ベートーヴェンが偉いのは第九(合唱)などの交響曲や協奏曲などの大作が素晴らしいだけでなく「エリーゼのために」のような曲があるから凄いと雑誌に書いたことがあった。ヒット曲や名曲は簡単なことから始まっている。もちろん簡単にヒットするわけではない。創るひとに百の力があると、力まない数%の力で千の世界を伝えてしまう力が凄いのだ。アマチュアの人が書くと、頑張ってみても目も当てられない幼稚な音楽になることが多い。いや軽蔑して言っているのではない。誰でも最初はアマチュアなのだが、力まない秘めた力を自在に活用できる所までに至っていることが凄いことだと思っている。簡単なことができるということは、その人の実力内の余裕から生まれてきているようにも思える。

 そういえば、歳をとると簡単なことができなくなっていくようです。アマチュア化していくということでしょう。しかし全てはそこから始まったと思ったら、基本に戻っただけで、それも楽しみにするのがいいと思っている。

打楽器奏者

 打楽器は拙作のなかで、絶えず重要な役割を担ってくれてきた。マリンバを含め、芸術祭や日本レコードアカデミー賞などにも縁があった。

 だから私は演奏者に関して特別な思いが打楽器奏者にあった。しかし痛い目にばかり合わされてきたのも事実だった。

 「音楽づくり」を文化施設の人びとに体験していただき、地域文化振興にも役立てていただきたいと思って実施したことがあった。自分たちで「つくる」「表現する」、その芽を文化育成の原理として役立たせる、という意味で全国大会の別枠で企画していただいた時間を私は受け持った。

 小学校などでの幾つかの失敗を活かすため、音大卒の打楽器チームと打ち合わせをした。初めて打楽器を手にするひとが考えて、叩けて、それを一つのフレーズとしてつくったものを繰り返して、即興で表現していく手立てを徹底してリハーサルを繰り返した。全員分かったような顔をして舞台に登った。

 舞台では打ち合わせとは異質なレッスンが始まっていた。そしてグループに分け「サンバ」のパターンを押し付けていた。全員で舞台はサンバの祭りでも盛り上がって行った。全国に「音楽づくり」の誤解を伝達してしまった。

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