音楽の最前線を表現するコンテンポラリーは無くならないだろう。世界の音楽の1%以下のファン数になっても、全作曲生産の0コンマ幾つかの数になっても、生き残っていくだろう。それは人智の音楽の極限からの叫びを求める人びともいるからだ。音楽世界の新次元は何時の時代でも望まれている。

 ただ聴者は増えていない。ファンは偏っているようだ。その最大の問題は、私も含むが「音楽の構造の秘密」と「聴き方」への誘いの努力を怠ってきたからのようだ。どこをどう聴いて、何を理解したらいいのか、その手ほどきや案内に精力を使わなかったことが問題だったようだ。だから最初は面白そう、変わっている・・・でも何回も聞きたくない、分からないのは自分の恥だ、と思わせたことが衰退に向かった理由の一つだと思われる。

 音楽系の大学や専門学校の先生も兼ねたひとは、切符を学生に売りつけたり、自作の作品発表に関する感想文の提出で出席や単位を出したりしていては、若い人びとの嫌悪感だけが残ってしまうことになってしまう。

 どうつくられていて、今までと(他人と)どう違い何が面白いと思っていたのか、言葉でも伝える努力をしないと、もっと衰退してしまうようかもしれない。