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カテゴリー: 雑感 / MISC. (Page 1 of 5)

神宮司 聖(じんぐうじ せい)

 昔の話しを載せるのはどうかと思っていた。何時も最新がいいからだ。でも一つ載せてみたくなった。自慢話ではない失敗談は大切だと思った。

「神宮司 聖」という名前を知っている人はごく僅かだ。私のペンネームで、大阪城が落城した時に、そこで祀られていた地蔵菩薩を授かり、昭和の時代に八王子でそれを御守りしていた行者さんが名付けてくださった名前だ。

 現代音楽とは別に、大人から子どもまで人びとに愛される「うた」をつくるひとにふさわしい名前が宜しい、というのが理由であったが、しかし「神様のお宮を司る聖人」とは恐れ入ってしまった。顔から火が出て、穴があったら入りたい気持ちもあったが、拝命には意味があるだろうと感謝した。

 丁度、宗教団体の愛唱歌をつくらせていただいていた時期だったので、早速名乗ってみたが、一番大きな出会いは歌の女王「美空ひばり」(日本コロムビア)嬢との仕事だった。

 プロデューサーは「ひばりというと英知の限りをつくして難しく書いてしまう。うんと簡単な、誰にでも歌えるうたをつくって欲しい」という依頼だった。

 電撃トレードで阪神から巨人に移った江川 卓が話題になった年、ひばり嬢が低迷期で世間さまから叩かれ苦しんでいた年にリリースされた。

 簡単なうたで多くの人びとに喜ばれるなら最高の慶びだが、しかし大きく外れてしまった。「センセ、私と組んでソンしたひといないから」という励ましは嬉しかったが、簡単なうたがつくれない聖がトコトン名前負けしてしまったことは、あらゆるひとびとに申し訳無かったと今尚ながら思っている。

 ※ CDでも売られているが、Youtubeで美空ひばり「昭和ながれ花」がのっている。当時の B面「ふる里は遠い空」も出ているようだ。

謹賀新年

 あけまして おめでとうございます

 本ページにご訪問くださった全ての人びとに感謝し、ご多幸をお祈り申し上げます

 これまで「一流の劣等生」である私の慢心創意*による音楽を中心に、馬脚を露わしながら文化芸術の一端を語って参りましたが、今年もみな様とより強烈に交流させていただきたいと願っています。

 (*慢心創意は満身創痍からの造語)

故事から新事

 詩人の谷川さん、波瀬満子さんたちがつくった「ことばあそびの会」は以前ここでふれたことがある。一つの言葉やその切っ掛けから連想する世界をふくらませるのは、音楽をつくることと同じで、随分トレーニングさせてもらった。ダジャレも多く、言葉を大切にする人びとからは嫌われたが・・・

 「青天の辟易」というのがある。晴天時に突然雷が鳴る(霹靂)ことと同じで、突然何かが起こることにうんざりするというシャレだ。

 「君子危うきに近寄らず」という言葉と「虎穴に入らずんば虎児を得ず」という故事がある。しかし「虎穴の出口で虎児を待つ」となると意味深で、様ざまな場面が空想できる。

 子どもの頃に「鳴かずんば 鳴くまで待とうホトトギス」『・・・鳴かせてみようホトトギス』『・・・殺してしまえホトトギス』という有名な句に出会った。家康・秀吉・信長を良く表しているといわれた。それを「鳴かずんば 自分で鳴こうホトトギス」と言って、子ども仲間に受けたことがあった。ところがその後、同じことを言って知事になった人がいた。有名人の宣伝文句に私はすっかり白けて、以後封印してきた。

 同種のあそびは一冊の本が出来るほどあるが、その内容に価値があるのではなく、温故知新はその種のあそびから誰でも面白い創造への誘いがあるように思われる、というサンプルとして思い出した。

校内流行歌禁止

 校則の見直しがニュースになっている。私の子どもの頃だってヘンな校内ルールがあって、校内で社会を学ばせてもらったことが多かったようだ。
 いつの時代のどの学校にも「聖職」を地で行く先生がおられたなか、「愛のムチ」(暴力)を振り回す先生もいた。明確な理由もなく坊主頭にされたし、あれはイカン、これはダメの、でシバリまくり、先生は児童生徒を護ってくれない、裏切るのは当たり前で味方や理解者にはならないのが大人だと教えてくれた。

 ヘンな代表例が「流行歌を校内で歌ってはいけない」という指導だった。生徒は世の流行に敏感だ。歌だけではなく何でも話題に触れてマネてみたいモノだ。ところが流行歌を歌うと、映画館に行くと不良になる、というのが理由で禁じられていた。一時ビートルズの歌やカッコをマネるのは禁止、と教育委員会が文句を付けたことは有名な話しだ。でも子どもの個性はそれらのカベを乗り越えて価値観を豊かに培って行ったようだ。

 みんなで考えつくった社会のルールは護らなければいけない。しかし流行歌を含む文化芸術などの個人の選択は、先生が禁止する行為は人権無視にあたる。
 ルールはドンドン破られるから面白いのだ。そう、名曲にある作曲者の作品番号は「前科何番」を意味しているから、今でも新しいのだ。

老化と新化

 老化現象は凄まじく楽しい。誰でも高齢になるに従い、主にアナログの身体部は劣ってくる。厄介なことが多くなり、その手続きが煩わしくなるものだ。高齢ドライバーが勘違いする事故も多いが、それはデジタルの信号を送ってもアナログ部に伝わっていなかったりするからだ。

 高齢化は指先、口元からといわれていたが、目も耳も怪しくなる。ところが人によるのだろうが、今まで見えなかったモノが見え、聞こえなかった音が聞こえるようになってくる。別に霊界の呼びかけが分かるワケでは無い。何を考えてどうつくりたいのか、作品づくりの瞬間が見て取れることもそのうちの一つだ。音楽の表現でも、みんなが理解できる共通言語も必要だが、聴いたこともない手で知らなかった世界に誘ってくれるのが芸術の面白いところだ。しかしなかなかそんな世界は滅多にお目に掛からない。結構バレバレな表現で誤魔化しているひとが多いモノだ。

 聞こえなかった音たちが浮かび上がってくる、ということは個々の楽器やアンサンブルで呼び起こされる「倍音」の上に現れる新たな音の組み合わせのことだ。音には純音もあるが、大体様々な倍音が一杯詰まっているものだ。それをどうひとは感じ、表現して、私たちは空間に響く音たちと触れ合っているかが音楽の醍醐味なのだ。名人たちの倍音づくりも面白いが、実はヘタな人のアンサンブルの高周波成分のぶつかり合いの方が面白い時がある。その周囲の聴力は衰えたかもしれないが、可聴範囲で聴き合える倍音のぶつかり合いによる新次元は、気が付いたら高齢者の楽しみの特権かもしれない。

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