「四年間、好きな音楽三昧で暮らして学士の資格。何が問題だ」と或る音大の学部長の言葉に、以前私はムッとしたことがあった。出口(卒業)で社会とのつながりが希薄なため、学んだ音楽が生かされる領域が少ないのに、学生時代が満足ならそれでいい、とは無責任だと思っていたからだ。

 舞台芸術のトップを目指す・・・千人に1名のエリートを育てることも必要だろうが、同じ価値観から外れた人びとの救済は考えていない。教師にでもなったら(教員の資格が取れる制度があればいいが)、町の音楽教室の指導者や、ブラスバンドの指導者になればいい、とうそぶく先生もいたが、音楽家が社会で果たす役割は多いはずだ、と私は思ってきたから育成のシステムからして問題だと考えて来た。

 親と毎日のようにケンカしている、という学生が何名かいた。「高い学費を払っているのだから○○だ」と責められるのだそうだ。一方親は「卒業したら何の仕事に就けるのか」「就職をお世話してくれるのか」と大学や学校側に質問してくる。

 「ひとそれぞれ才能にもよりますし・・・」「文学部を出ても、作家や文学の専門家になるわけではないし、サラリーマンになるひともいる」と他人事のような返事が返ってきた。

 もう40年も前から私は音楽雑誌に音楽大学の未来とその時の役割を描いてきた。舞台に立つだけでないコミュニティー・ミュージックで活躍出来る環境も手だてもみんなでつくっていかなければならないという話しだ。最近それを考える学科が出来はじめてきた。でも教える側が未経験な領域だけに成果はこれからになる。それを待たずに音楽を専門とする教育機関が弱ってしまうかもしれないと思っている。