国会の「チルドレン議員」が話題になった頃、私にもチルドレン(弟子)を増やすよう後輩の仲間に言われたことがあった。仲間が増えることは力になる。国会議員を見てもそうだ。数の力はすごいものがある。個は余程の力が無い限り阻害される。だから仲間づくりをするように、という暖かな意見だった。

 人は邑を作ることが好きだ。邑づくりは仲間外れも同時に可能になる。個々の人びとが必要な時に自在に加わり、それぞれの持つ能力を発揮し合える、そしてまた他のグループとも生かし合えることが私は好きで、邑づくりをする人が嫌いだった。今でも嫌いだ!

文化事業で、全国のネットワークをつくることが推奨された時があった。以前にも記したが、使い方によってネットワークは仲間外れを生むこともあるから、私は嫌な話だと思っていた。みんなに声を掛けて必要な時に必要なひとが結びつくだけで十分だと思っていたが、少々勝手な理想を描いていただけのようだった。

 子どもの頃、新しい村に住んでいたので、旧村の子どもの仲間と仲良くしたかった。子どもの誰もがやっていることで、遊んでいるグループに弟と共に「まぜて(あそぼうの意)」と呼びかける。大体の場合「いいよ」と誘ってくれる。ところが「やだよ」と言われてしまう。何も悪いことや感じの悪いことはしていなかったが、どの村に行っても断られた。邑外れの第一歩だった。

 ひとは多くの人びとの知恵の恩恵や善意や支えによって生きている。一人では生きられないことも私は当然知っている。しかし子どもの頃の体験で、ひとは必要に応じて結びつき、何かを生み出し、役割が終わったらまた一人になることも大切だ、という考えが身についてしまったようだ。

「音楽づくり」も同じかも知れない。