文化事業のコンセプトは「魔法の学校」
全国の公立文化施設の旗館といわれている「東京文化会館」とは御縁が続いている。90年代に館長だった作曲家の故・三善 晃先生と文化事業の市民文化育成を協創させていただいた。そして今も外部評価委員として意見交換をさせていただいている。それは上から目線で助言する役ではなく、唯々文化会館の事業の理想郷を感嘆させていただくために参加しているようなものだ。
都から文化事業の助成を全く受けていないのに、質も量も他館の水準を超えている。貸し館事業も兼ねながら自主事業の数も多い。オペラなどのオリジナル作品の制作・上演までこなしている。人気アーティストのファンで満席な企画だけでなくホールの事業そのものにファンがついている。最先端の社会包摂企画や育成プログラムの充実は世界に通用している。音楽家から企業までのマッチングが優れていて、管理運営を含め絶えず創造的な展開の数字を上げている。これらは会館の個々の優秀さとチームプレーの優れた成果だと思われる。文化会館の理想に触れて見たいひとは、会館が最近まとめたそれらの冊子をご覧いただくと感動が伝わっていくと思われる。
これらは私が理想としてきた世界を具現化していただいたようで、本当に嬉しくなってしまう。私には至らなかった事業もあったが、私が展開させていた事業コンセプトは、90年代の中頃から埼玉県の越谷市のホールで展開させていた「魔法の学校」にあった・・・子どものなかに本来持っている“魔法”を見つけて自ら育てる。大人は技術を教えるのではなく、必要最小限のサポートが出来るように寄り添っている。大人のサポーターは多種多様なプロがあたり、その実力は後に東京大学教授になったり、世界に羽ばたくアーティストだったりした。ここでは”ダメ”なことはなく、子どもたち自身が“カリキュラム”も考えてつくっていった。そう、楽器をつくるスペースから生まれたものが、世界の一流を理解して異なった価値観との交流につながって行ったのだった。地域文化振興とはそこが原点なように思えたのだ。町の魔法使いから、どのくらいの次世代の魔法使いが生まれ育ったか、その成果が問題ではなく、コンセプトが生き続けていることが面白いと私は思っている。