映画などで見られる、悪党組織に立ち向かうヒーロー物語に登場する悪党団の団員それぞれの家族はどうなっているのか、どの物語でもズ〜と疑問に思って見ていた。
何百人も制服を着た、主に男たちが黙々と一糸乱れずボスのために働きヒーローにやられて死んでいく・・・どうやって組織に加わったか、給料や契約はどうなっているのか、賃金を貰ったら何時何処で何に使っているのか、各種保険や保証は護られているのか、恋人や家族がいないはずはないのだが、すると秘密は漏れないのか、脱走するヤツはいないのか・・・しかし大体がそんなことを考えるヒマも無く殺されていく。殺されなくて怪我をした人たちは何処の病院に収容されるのか、その後のリハビリはどうなっているのか・・・考えたら切りが無いほど興味は尽きない。
日本のチャンバラ映画でもそうだ。切られたらピクリともしないで死んでいくが、そう簡単に絶命できるはずはないと思っていた。切られた人の葬儀やお墓はどうなったのか、残された関係者・家族はどうしたのか知りたかった。切られた人にも小説一冊分の人生があったろうが、そこに光をあてた物語はそうないものだ・・・
など考えて映画を見るヤツはいないかもしれない。でも子どもの頃からそこを知りたくていたが、悪党団員の日常はいまだに私には理解できていない。
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‘90年代後半、東京文化会館の館長に作曲家の故・三善 晃先生が就任された。
市民参加企画や市民文化育成事業が公立文化施設で開花していく時代だった。「ちょっと手伝ってよ」と三善先生に誘われ、次世代育成企画など話し合っていた。その頃から若い演奏家のための国際コンクールを三善先生が提案され、実現へ向けた努力をされていた・・・それから四半世紀が経ち、21年1月11日に同館大ホールで「第18回 東京音楽コンクール 優勝者&最高位入賞者コンサート」が開催された。コンクールが持つ功罪はあるだろう。それは別途語るとして、演奏会の成果と出演者の力量は凄まじいモノがあった。設立時とは隔世の感があった。ピアノ2名、トロンボーン、そしてヴァイオリンがコンチェルトを演奏。出演者が高校生であっても、聴衆を唸らせる世界を提示していたので、凄い世の中になったと私は思った。
これからもっと実績を積んで、世界を席巻していくことになると思われる出演者たちだが、いまこの若き演奏家が表現する世界を全国の各地域の文化施設でも聴いていただきたいと思った。一握りの有名人も素晴らしいけれど、これからの音楽界が誇る若い演奏家の財産は遜色のないものなので、受賞者の世界を多くの人びとに共有していただきたいと思った。
全曲オーケストラとのコンチェルトだったが、その演奏も素晴らしかった。角田鋼亮指揮・新日本フィルハーモニー交響楽団。司会は朝岡 聡。挨拶、場面転換のつなぎ、簡単な曲目解説、短時間に急所をついたスマートな表現は、多分この種の企画を担当されたら日本一だと思うくらいの耀きがあった。
99年秋に「コミュニティ ミュージックをつくる」という拙著(音楽之友社刊)を発売していただいた。メイン タイトルは「文化会館の聖母<マドンナ>たち」で、文化会館を基軸に市民文化の創造的な活動の発信記録を本にしたものでした。その真の狙いは市民自らが音楽創造・表現・評価ができて、文化の自給自足から様々な価値観の認識・交流が叶うことの意味と手だてにありました。
一流の芸術を鑑賞することは素晴らしいことです。人の価値観は様々だから一概には言えませんが、消費としての文化と、創造の文化、保護・育成する文化は同等で、それらの結びつきの手だてを持っているのが文化施設でなければならないと思っていました。
全国には地元市民の創造的な活動を当然の様に育成しながら、世界の一流芸術に触れる機会を確保している文化施設が多くなってきました。芸術も元はコミュニケーションで、コミュニティ ミュージックの育成が根源になければならないのだと思っています。その実践と成果は少しでも仲間と築き上げて来ましたが、当時は殆どの音楽関係者・文化施設の人びとは何のことか全く理解出来ていなかったようでした。これからはそれが当然核になると私は思っています。
20世紀の後半に様々な図形楽譜による音楽作品が世界各地で生まれ演奏されました。今では過去の作品や新たな図形楽譜の作品が演奏されることは少なくなりました。五線紙に記された音楽の方が再現しやすいのかもしれません。
本 Webサイトの表紙は拙作の図形楽譜です。「スカイプロズム」「リンの詩」をデザインしたものです。私は気が付いたら図形楽譜でもたくさん音楽を発表してきたひとりになったようです。自慢ではありません。キケンな実績なのです。今まで誰からも褒められたことがありません。むしろ演奏家や作曲家と友だちになれない要素を持っているようです。再演してくださった演奏家を除いて共通の苦言を聴き続けてきました。「私は音楽を頼んだのに絵を描いてきた」。そして仲良くなれたのは子どもさんたちが多かったようです。音がルールのなかで、そのルールも自分たちでつくれる、自在な音楽を生み出すことが五線譜で記された音楽より面白く楽しめたからです。
「万華譜」も同じ原理ですが、「スカイプリズム」など音が空間に浮いていて、演奏者が見る(感じる)角度によって音の存在が変わってきて、その感じた音たちと触れ合うことがいいのですが、五線譜に書かれた音を忠実に演奏することの名人諸氏には苦手だったようです。例をひとつ「スカイプリズム」で。三角錐になっています。その△面に音を指定します。三面の内の一面(一辺)を先ず指定します。ドとソにしました。するとそこから三角錐の中を見るとひとつの音がミの付近に浮かびます。もう一面は前述した面のひとつドとオクターブ上のドとします。するとこの面から見ると先程の音が ファの付近に見えるかもしれません。三面目の線を今のオクターブ上のドから三度下のラにすると、その面から見た同じ音がシ付近かもしれません。見る面により音の浮遊が変わって来ます。演奏者は三角錐を回しながらピアノで奏でられるドレミ以外の音を含む浮遊している音を紡いでいくのです。作曲者の描いた指定音よりもっと自由な音たちにふれ合える「即興」がそこにあるのですが、演奏者は心配で自分で五線譜に事前に書き込んで練習しています。そこが難しいところで、また評判が悪いのだと思いますが、私は宇宙の星たちがさまざまな「窓関数」で自由に歌っているところが好きなのですが・・・
誰からも教わらなかったし、次世代の作曲家の誰にも伝えられなかった領域のようです。この種の作曲では親分無しの子分無しですが、しかし全く偶然に生まれたわけではなく、私が最初に和声や作曲を学んだ水野修孝先生からコンセプトを培ったように思っています。

作品について
図形楽譜による箏と打楽器のための作品。正方形に書かれた楽譜は,90度ずつ傾けて4回演奏され,そのたびにまるで万華鏡のようにそこに表された音の世界が変容する。どの角度からはじめてもよいし,2人の奏者のテンポも決められていない。
しかし2人の奏者は互いに音を聴き合い,互いに反応し合って曲を進めていく。2つの歌は2つの流れのように時にはからまり合い,時には追い掛けあい,一致・不一致を繰り返しながら進んでいく。箏や打楽器の様々な技法と音色は,まるで声色を使い分けているように2人の演奏を彩っていく。
この楽譜をもとに,多様な音色や演奏のできる楽器を選んで,楽器を使った対話を楽しんでみたい。
坪能由紀子<音楽教育>:本作品の企画制作者(委嘱)
プログラムノートより
文化事業のコンセプトは「魔法の学校」
全国の公立文化施設の旗館といわれている「東京文化会館」とは御縁が続いている。90年代に館長だった作曲家の故・三善 晃先生と文化事業の市民文化育成を協創させていただいた。そして今も外部評価委員として意見交換をさせていただいている。それは上から目線で助言する役ではなく、唯々文化会館の事業の理想郷を感嘆させていただくために参加しているようなものだ。
都から文化事業の助成を全く受けていないのに、質も量も他館の水準を超えている。貸し館事業も兼ねながら自主事業の数も多い。オペラなどのオリジナル作品の制作・上演までこなしている。人気アーティストのファンで満席な企画だけでなくホールの事業そのものにファンがついている。最先端の社会包摂企画や育成プログラムの充実は世界に通用している。音楽家から企業までのマッチングが優れていて、管理運営を含め絶えず創造的な展開の数字を上げている。これらは会館の個々の優秀さとチームプレーの優れた成果だと思われる。文化会館の理想に触れて見たいひとは、会館が最近まとめたそれらの冊子をご覧いただくと感動が伝わっていくと思われる。
これらは私が理想としてきた世界を具現化していただいたようで、本当に嬉しくなってしまう。私には至らなかった事業もあったが、私が展開させていた事業コンセプトは、90年代の中頃から埼玉県の越谷市のホールで展開させていた「魔法の学校」にあった・・・子どものなかに本来持っている“魔法”を見つけて自ら育てる。大人は技術を教えるのではなく、必要最小限のサポートが出来るように寄り添っている。大人のサポーターは多種多様なプロがあたり、その実力は後に東京大学教授になったり、世界に羽ばたくアーティストだったりした。ここでは”ダメ”なことはなく、子どもたち自身が“カリキュラム”も考えてつくっていった。そう、楽器をつくるスペースから生まれたものが、世界の一流を理解して異なった価値観との交流につながって行ったのだった。地域文化振興とはそこが原点なように思えたのだ。町の魔法使いから、どのくらいの次世代の魔法使いが生まれ育ったか、その成果が問題ではなく、コンセプトが生き続けていることが面白いと私は思っている。
これまで私は全国で多数の公立文化施設に伺ってきた。視察や支援名目が主だったが、日本には文化施設とともにある素晴らしい文化都市の多さに勉強させられた。支援・助言が必要で招かれる施設は、問題があるから、困っているから呼ばれるのだが、既にある自慢すべき地域の文化財を再考すると、どの町も輝くようなプログラムが創出されていった。そう、助成金が乏しい、町の予算が縮小された、人材不足といっても、文化会館職員だけでなく町の人びとの文化的なパワーが強いところは町が輝いているのです。
少し前までは「プロモート」が多かったようだ。プログラム例をカタログで見て電話で注文し、後はチケットを売る仕事だ。資金さえあれば誰でも出来る仕事だった。今は文化会館のオリジナル・プログラムや地元の市民文化育成、多種多様な文化交流事業と拡がっていった。プロの音楽団体まで育っているところや施設外の事業も盛んなプログラムで活気があり成果を上げている町が多くなったのは事実だろう。
税収が少なくなった?助成金がカットされた?人員整理されていく?新型コロナの災害に勝てるのは、文化会館が市民と財産を築いてきたかどうか、有名タレントの招聘プログラムだけでない市民との文化的体力が付いたかどうかにかかっているようだ。しかし首長の一言で変わってしまう文化都市もあることは事実だ。私も文化会館の職員と一緒になって、これなら市民の賛同を得て拡がって行く!と思った矢先に「今年度一杯で閉館!」という宣言を受けたこともあった。私の力量不足とそこに至るまでの自然な住民の文化パワーが集約出来てなかったことがあって、もったいなかった事例の一つだろう。
自給自足に町のパワーがないと、外からの買い物文化は「文化の消費」になってしまうことが多い。どんな貧弱な種でも「創造としての文化」を持っていないと海外とも互角の文化交流は出来ていないことになると私は思っている。
<コンステレーションⅡ>百本の木管群とコントラバス群と打楽器群のために
71年作、同年秋に東京音楽大学で初演。72年東京・青山のホールで再演。
演奏場所の中央にコントラバスが輪になって向き合い演奏。そこから打楽器奏者が螺旋状に拡がった位置で金属片・トライアングルなどで傍を通過する奏者と単音で応答。木管奏者(フルート・クラリネットが主で、他にオーボエやファゴットなど計約百名)が中央からゆっくり遠方に奏者が聴き合って交流出来る距離までゆっくりとした歩調で拡がり、また中央に戻ってくる約30分の音楽。コントラバスと木管群は、近い奏者と聴き合う音の反応をロングトーンの弱音で、短2°や長7°などのハウリングが起こる音により交流する。
[ギネスブックに載りそうな演奏として]・・・公開演奏に於ける多数の警察官に追われた作品
ホールの庭に全演奏者が集まり演奏開始。パイプオルガンの鍵盤を、両手でなで回しながら押さえたような音が庭から立ち上り、風にも流されてホールの建物からもにじみ出した・・・回りのマンションや家々の窓が開いて会場を見つめ始めた。5分も経たないうちに会場にクレームの電話と110番通報が殺到した。青山一丁目からと赤坂見附の交番から警察官が自転車で到着した。道路から公園の方にまで拡がった演奏家の音たちは不思議な世界を醸し出していた。そこにパトカーのサイレンが遠くから加わってくる。ウ〜〜〜ッというサイレンの音が演奏に加わって、ホール玄関に警視庁のパトカーが停まった。主催者と本作品の責任者を出せ、と5〜6名の警察官と主催者の押し問答になった。一歩ホールに入ると裸の女性がボディーペインティングで表現中だ。ややこしいことになるので平謝りしながら「芸術の発表です」と主催者が防波堤を築いてくれた。やがて演奏家が元の庭に戻ってきて、静かに演奏が終わった・・・騒音防止条例、道路交通法、無届けデモ行為、軽犯罪法などの違反云の疑いがあったようだが、警察官に追われながらの作品上演はかつてなかったようだ。
私が文化会館の芸術監督を引き受けさせていただいた頃、「コミュニティー・ミュージックをつくる」という本を出し、企画を実践していた。音楽はプロが聴かせて、聴衆は聴くだけのものではなく、市井の誰にでも個人のオリジナルな音楽を持っていて、それと優れた文化芸術が解け合って人びとは感動するという音楽の基本の話しを提示しただけである。
もちろん創造的な技術は持っていないことが多い。表現だって上手くない。しかし人びとと技術を超えてつくり合えることが、音楽を理解し、愛し合える原点になる。だから簡単なルールや手だてで「つくってみよう」という能動性が大切だ、という内容だった。それが「音楽づくり」という活動が学校だけでなく、町の何処でもできる活動として考えていたのである。
文化会館に資金や人が不足しだした今、再度自分たちの「音楽(文化)づくり」が必要とされている。 P ACシステムデアル。三位一体の、三人寄れば文殊の知恵の、文化芸術の創造エネルギーの源というアイディアである。
Pは文化施設のプロデューサー(本企画の担当者でいい)。 Aはアーティスト(一流の音楽家・音楽教育者などの専門家)。 Cは(市民のなかの文化人、カルチャーの仮称)。 Cは複数で固定しないで、例えばプログラムごとに交代する、などのルールが必要。 Aはオーケストラのトップ演奏家や学校と社会の音楽教育に精通したひと)。これらの人びとの有機的な結びつきで、地元の文化芸術財産と世界の一流人と何が出来て、どう拡がって行くか智恵を出し合うことから始める。
種蒔きなら、東京のオーケストラ団体が全員で来られなくても、少ない経費で町のなかで、文化施設で、何が出来て生まれてつながるか、そこから始めることができるだろう。文化芸術は「鑑賞」が先ずあるのではなく、コミュニケーションがあって、何かをつくるところから始まるからである。
次世代の技術向上を願うだけではなく、自力で文化芸術の様ざまなふれ合い方から「ここにしかない」自力を培うことが大切だと思われる。
日本全国の約100館ほどの優れた劇場・音楽堂は、各館優れた企画制作の実績が多大な名館になっている。それに準ずる約300館ほども目を見張る独自な地域文化を展開させている。優れた「鑑賞」はもちろん「市民参加」「次世代育成」などの事業も優れた実績を残している。
約20年ほど文化事業のアドバイザーや視察などの役で、私は全国で望まれる文化会館スタッフと智恵を出し合ったきた。どの文化施設にも地元の文化的な財産が豊富で、それと海外を含む大都市の文化との連携が次の財産を生むと考えたからである。
そこで「ここにしかない」「ここにもある」プログラムを考え、地域文化の新展開に助力させていただいてきたと思っている。前述した数百館など、市民の声を聴く力もあって、新たなアドバイスなど不要な実力を持っているから、ここでは同類ではない。
しかし現在どの文化施設でも、新型コロナの影響で立ち往生している。企画が成り立たないからである。そしてこれは序章で、親元の税収が乏しくなれば、予算や助成金はカットされ、人員も整理され施設全体の縮小・廃館まで起こる事態になっている。次年度から次々年度に向かって被害が多くなっていくだろう。
大規模予算の掛かる企画は難しくなる。マイナス思考でなく、乗り越える手だてを考えなければならない。そこで登場するのは、まず「ここにしかない」企画の推進だろう。会館スタッフ+優れた芸術家やプロデューサー+地元の文化芸術の実力者の三位一体が実力を発揮することになる。地元の知恵者は特定のボスでなく、各分野に公平で「育成」に関心がある人がいい。企画はアマチュア化させるものではなく、種蒔きから様ざまな人びととの「交流」ができることが条件になる。金がない、人がいない、アイディアがない、のではなく、オリジナル誕生に向かった「闘い」を考える事が優先される時期になっている。チャンス到来の季節でもある。