自然界は極低音の上で、倍音が整然と、またはぶつかり合いながら響合っている。
 都会の音は、低音からしてぶつかり合っているので、倍音が身体に刺さるような暴力と化している。高速道路、工事現場、ビルや家庭から出る音が、複雑に絡み合っていて、人の全身に襲い掛かっている。よく市民が病気にならないと私は感心している。海や山のあるところに行くと、大地の底から支えている極低音の上で純正を基にした自然倍音が透明感を持って響き合っている。だから身体が音の綿に包まれたような心地良さを感じて心まで休まる。

 音楽は倍音の積み重ねの変化で、ひとは意識をしなくてもそれに包まれていることにより心地よさを知っている。雅楽も倍音の響きの中でメロディーが浮かび上がるようになっている。人数の多い声明では、ぶつかり合った音たちが、天空で絡み合って時々光明がさすように響き渡る。

 拙作では、自然であり私が望んだ倍音によって望まれる響きや歌が生まれる仕掛けが多い。録音すると消えてしまう音もあるので、生の演奏がいいに決まっているが、それでも断片的に聞こえることもあるので紹介させていただく。
 とにかく Webで公開してくださるという友人の作曲家が採用してくださったが、タイトルが検索に引っ掛かりづらく、何年経っても訪問いただけないのが残念だった。

 宮本妥子さんのヴィブラフォーンによる「Celestial- Vib」(天空の響)がそれである。