誰の声でも千変万化だ。環境や感情に溶け込んで、誰もが役者になれるのだ。
エラソ~な声を出す人がいる。必ずピッチが低くなっている。押し殺した声にも思えるが、エラソ~、エラソ~と首の後ろの筋肉を硬めにして話している時がそれだ。ピッチを高くして威張ったら「喜劇」の場になる。女性でも低くなる。女性大臣が偉そうにしゃべる時は、必ずピッチが低くなっている。感情の起伏がある時は次第に高くなり、快楽の絶頂時はA(ドレミのラ)の音近辺で、それ以上の高さは悲鳴になる。
疑っている声、ウソをついている声、敬虔な思いで話す時、怒りに震えている時、緊張感がまるでない時、説教する時、悲しみの時、人をバカにしている時、感動して出す声・・・声だけ聞いていても、人々の心の動きはしっかり聞き取れる。いや、そのくらい日常的に百面相ならぬ、百面声を人々びとに発している。誰もが「名優」だと言われる所以である。