Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

投稿者: Katsuhiro Tsubonou (1ページ目 (16ページ中))

トガトンはメロディー楽器

 フィリピンの民族楽器・トガトンは小学校の音楽の授業でも活用されている竹の楽器です。
 硬い地面(コンクリなど)の上や、石で竹筒の底を打つと、1メートル以上ある太くて大きな竹筒や、30~40センチの竹筒から誰でも簡単に美しい音を生み出すことが出来る優れた楽器なのです。
 参加者が8呼間(6呼間でもいい)の何処で1回打つかなどのパターンを繰り返すことの応用から、結構複雑な音楽を生み出すことが出来るのです。
そこでトガトンを打楽器のアンサンブルと考える人が多いのですが、実は「メロディー楽器」で、打楽器的な表現が優先されているわけではないのです。この楽器の面白さはメロディーをみんなで生み出せるところが素晴らしいのです。
人は一つか(両手を使うと)二つの音しか、一つのトガトンからは音が出せません。しかし、そこにはビートがあり、仲間の音と重なる響きがあって、単音でも仲間とメロディーを紡ぎあって歌い始めることができるのです。ピアノやフルートとも共通するメロディー楽器になっているのです。そこを聴き出せるかどうかが、音楽づくりの核心部なのですが・・・

 文化会館での社会的な音楽活動でも応用が可能で、素晴らしい音楽づくりや仲間づくりができるはずでしたが、その指導を託すひとも、参加される人びとも、メロディーが聴き取れないでいました。だから全国の何処かで「トガトン楽団」やアンサンブルを楽しむチームが生まれなかったようです。
説明し、実演し、実際に私も加わって演奏して楽しんでもらっても、次にはつながらない世界でした。これから私が再度その種のワークショップを展開して、多くの人びとに楽しんでもらえると宜しいのでしょうが、もう私の役目は終わったようです。竹に限らず、大自然に鳴り響く様ざまな音たちが自然に歌っている世界を、他人と共有するよりも、黙って聴いていた方がいい、というのが私への天の声だったようです。

コン・コン/シリーズ

 私の作曲家の原点にある二つの作品シリーズを記しておきます。多分誰も二度と公開の場で聴くことは無いと思われますが、私にとっては重要な作品だからです。
 コンステレーション(=星座符。30本のクラリネット群のために、100本の木管群・打楽器群・コントラバス群のために、その後吹奏楽や合唱版でも半世紀前に公演)と、コンベンション(オカリナのための)の、コン・コン/シリーズです。

 二つに共通する音楽は即興性です。聴き合いながら響きを生み出し、個の音と仲間の音との響き合い・歌い合いを個々通し、全体世界に浸る音楽になっていました。それは個々の星の輝きを認識し合い、満点の星の生命との交流の広場に向かい、演奏者はゆっくりと歩みながら演奏を楽しみました。

 コンベンションでは、遠くから聞こえる音たちへの反応で、次第に人々は集まり、即興で会話し、やがて遠くに去って静寂が戻る、という構造になっています。
 それだけの説明で、子どもたちは奇想天外な世界を描いてくれます・・・天から星が降るような響きが、小鳥たちの会話になり、仲間が仲間を呼んで喧々轟々とした集会になり、自然に歌われる讃歌になり、喜怒哀楽の呼びかけを生み出したりしていました。
 町の子どもたちや大人たちも緩やかで大きな輪のルールで千変万花を表現していました。
 問題は学校の授業での展開や、授業の名人の「指導案」に沿った先生がたの展開でした。授業の名人であればあるほど、自身の設計通りに仕上げてしまうことでした。限られた時間や人数、予算などを考慮して、指導者の図面通りに仕上げてしまいます。だから「みんな私がつくってやった」という自慢を吹聴することになってしまうのです。その失敗は何度も起こり、これらを今後再演する意欲を失ってしまいました。故に、幻の星たちの集会、となった次第です。

コミュニケーターの失速

コミュニケーターとは人びととのコミュニケーションを図れるひとのことです。
 音楽では、歌えるひとがその役を担うと大きな力になります。半世紀前には公園で歌って、参加者とも歌って、常に新たなコミュニケーションを生み出す人も現れましたが、そのような人財がたくさん生まれることはありませんでした。

 4〜5人でもいい、集まっている人びとと一緒に歌って、参加者の歌声を聴いて、もちろん自分の十八番(おはこ)も披露して、十分か二十分でもいい、歌うことで心の共有をみんなで楽しんでください、と簡単なお願いを歌い手(歌の専門家)にしても難しいことでした。広場の意識が少なく、ミニ・コンサート(リサイタルなど)の意識になってしまうようでした。そんな社会の現場で音楽により、人びとをサポートする授業など大学では無かったのです。ですから幾らサンプルを示しても、コンセプトの大切さ、楽しさを話しても、理解するコンテンツが誰も持っていなかったようです。
 説明の仕方、ワークショップの例、音楽を形づくる仕組みなど、何度も努力してみましたが、私の力では成果が上がりませんでした。限界を意味していて、世代交代も必要なのでしょう。

簡単なことが出来ない音楽家

 音楽でも情報・知識を持たないと、主に音楽をつくってみんなで楽しむことは難しいものです。そのため音楽がどうつくられているか、勉強・レッスンでなく、遊びながらでも知識から真似て自分たちでもつくってみるキッカケになることが第一歩なのです。
 その情報源は、民族音楽にもクラシック音楽の名曲にもたくさんあるのですが、それを多くの音楽家は子どもたちに伝えることが出来ないでいます。
そのヒントを幾ら私たちが助言しても聞く耳を持つ人は少なかったようです。故に子どもの生み出す音を聴けなかったようです。子どもが遊んでいる音楽のなかに音楽宝物が詰まっていたのですが・・・
遊びながらも子どもたちが生み出す音の群れを、音楽家が褒めてまとめるのではなく、参会者が気に入る表現になるまで「待つ」ことが大切だったのです。しかし、待てずにバチの持ち方、音の出し方など、レッスン・レクチャーに向かう音楽家が多かったようです。

 音楽の勉強は、優れた技術を身につけて、出来るだけいい環境でその表現を褒めてもらうことが主になっています。他人より優れた表彰(コンクール)が大切でいます。自分の優れたところを社会で役立たせる術を持たせる講座が殆どないことが音楽系の大学の足腰を弱くさせている基になっています。簡単なようですが、これは構造的な欠陥で、ステージの上からの提供に強く、広場の音楽からはつくることが出来にくいということです。音楽の技術を持った人びとが文化芸術を愛し、理解して次の世代に育てて行くということは、簡単なようで難しいことだと思っていますが、その壁を乗り越えられないでいた人にも責任はあると思われました。

文化会館の役割

 私が文化会館の事業に従事させて頂け、全国の文化施設の助言などをさせて頂けた基は、クラシック音楽の普及にあったようです。バレエ、オペラも加え、なかなか大都市の施設に距離や時間、お金も掛かる演目は、文化施設の誰かが強力に働き掛けない限り鑑賞出来づらい企画だからです。誰もが気軽に鑑賞できる方法や出演者へのアプローチが出来る術を持ったひとが欲しかったようでした。
 しかしそれは資金があれば、電話一本かければ何処でも誰でも実現可能な仕事なのです。演奏会チケットを売り捌くことに苦労する話では無いのです。

 都道府県が参画する施設は、資金の額も違うので、オーケストラや子どもの団体の育成まで拡げているところもあります。しかし小都市では予算も人材も不足していて、地元の文化を育成するところまで手が届かないのが現状です。
 文化施設は教育機関ではありません。しかし学校で学んだ文化芸術は、社会でも継続して拡げていくことが、町の文化的な財産を大きく産み育てて行くのだと思っています。
 どんな町でも人財は隠れていても豊富なのです。文化施設はその人びととの発掘・交流が基礎になるはずなのですが、幾ら説明して、実践例を上げても、分かるひと、少しでも地場産業から何かを生み出そうと考えるひとが殆どいなかったことが私には驚きでした。
 公立の文化施設は、特定の人びとによる邑社会の交流場所ではありません。地域文化の揺籠として自在な展開が大切なのですが、残念ながら実現例が少なかったようです。そこをやり残していますが、私が考え実践してきた文化施設のコンセプトは間違っていなかったと思っています。

現代音楽の即興

 音楽の醍醐味と無常の新世界は「即興」にあります。
 即興はデタラメではありません。ルールにのっとった表現で、音楽の様ざまな表現を可能にさせています。民族音楽にもあるし、クラシック音楽にはその時代の名手(作曲家やピアニスト)が表現して時代を創ってきていますが、楽譜の残されているものはごく僅かですから実態がなかなか分からないかも知れません。そして何といってもジャズが凄いし、今でも音楽が一番生かされているのはそのジャンルかも知れません。
 ’60年代に現代音楽でも、即興演奏団体があった。東京芸大の楽理科出身の作曲家・演奏家が集まって演奏した「グループ音楽」がそれでした。「現代音楽でも即興があるんだ」と私は大いに影響を受けました。
 
 ’70年に拙作「クリエーション」シリーズを発表しました。ほとんどルールを記した楽譜であり、即興が柱になっていました。
 トロンボーン・アンサンブルの「第一番」は、一つのフレーズを、相手や仲間が真似する、反抗する、対話し合う、等の連続で音楽が進んで行きました。それは鳥獣戯画のような音で面白いし、演奏家の個性が表に出ていて、音の海で聞き手は楽しく揺られる面白さがあしました。しかし私と演奏をした仲間以外、誰もいいとは言いませんでした。

 もっと即興表現が広がるように、と図形や注釈表を増やして、他のアンサンブルや合唱にも拡げたが、発展はしませんでした。その原点を大切にした段階で、本当は作曲家として失敗の道を歩み始めたのかも知れないと思っています。

訃報の数々

 昨年から現在まで、多数の著名な人びととお別れしてきました。新聞の記事やテレビで訃報を伝えられた先輩(先生)、同輩、後輩諸氏です。記事は著名な人びとが寄稿されているので、私が記すことは無いでしょう。教えていただいたことや、一緒に仕事をさせていただいと重みが心の底に残っていて決して消えないでいます。
 痛手の一つは、私の一番優れているところを褒めてくださり、それが音楽や文化事業で生かす力になっていた証言の多くが、失われたことでした。亡くなられてから「〇〇先生が私をこう評価して下さっていた」と言っても証拠は無いし、故人を利用した売名行為のように思われるかも知れないので、全て封印しなければならなくなってしまいました。
 唯一の証拠は、拙作の著書に寄稿して下さった故・三善 晃先生の私への文書だけが残っています。

 ひとりの人の生きる道には、天国からそのひとを含む望ましい世界の実現に天使を送り込んでくれている、と記された本を幾つか読んだことがあった。しかし自分の至らなさから無駄にしてしまったことの方が多かったようです。
 そこへこの7月に義弟を亡くしました。長生きをすることは、沢山の人びととの出会いと別れがあるということですが、見送ることは何時も辛いものがあります。

残酷暑お見舞い申し上げます

 連日、猛暑・酷暑が続いています。この暑さ、私も頭では理解していても、身体が拒否反応を示していて嫌がっているのが現状です。生命に関わる暑さだそうです。「逃げないでこの暑さに立ち向かう!」なんて考えないで、暑さを凌ぐ術を優先して、逃げるが勝ちだと思っています。

 久しぶりに本欄を更新させていただきます。ブログも時代を通したその人へのニーズなどによって価値はあるでしょう。タイムリーで無い内容は意味が乏しいことでしょう。ですから他人事では無い、私の作曲や文化事業などについて、私なりの総括を数回に分けて記してみたいと思っています。自慢話ではありません。むしろ失敗したことの分析になりますが、自虐ネタではありません。失敗は成功の基であるかも知れませんので、その事実をできるだけ客観的に記してみたいと思っています。誰かの何かの役に立つかも知れませんから・・・

東京タワー文化フェスティバル開幕

演奏会が二つ開催されます。
1月19日(日)に東京タワー、28日(日)に紀尾井ホールです。
橘プロデューサーの企画・制作・構成・演出をお手伝いする役ですが、今回は名前だけの音楽監督だけでなく「絆の章」という邦楽作品を、東京タワーの日のみ演奏していただきます。 2003年に作曲して06年に日本現代音楽協会主催の演奏会で初演していただいた作品の再演です。篠笛と尺八のための小品です。

 曲は全編「コール&レスポンス」で出来ています・・・親が子を呼び合う、ひとと自然が交流する、魂の呼びかけ合いなど、一つの呼びかけで絆が結ばれ、拡がっていく世界が展開されています。文化フェスティバルのコンセプトに通じる作品でもあるように思いましたので参加させていただきました。

もう一つ、私の亡くなられた恩師「樋口 昭」先生(埼玉大学名誉教授)の“追悼演奏”の意味も含まれています。
樋口先生は、私が二十歳の時突然「作曲家になる!」と宣言した時、僅か十ヶ月でイロハのイから音大に入り、プロの作曲家に必要な基礎を教えて下さった恩人でした。
数年前、孤独死されました。変わった先生でしたから亡くなられても私に伝わってくる情報は無く、随分後に私も知ることになりました。しかし誰がどのような御供養をされたか分かりませんでした。私は作曲家として活動している細かい報告やお礼もキチンとしないママでしたから、途方に暮れてしまいました。

令和6年12月7日(土)午後、成田山新勝寺(成田市)で故・樋口 昭先生のご供養をさせていただきました。そしてこの19日に追悼演奏をさせていただくことにいたしました。

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謹賀新年

 明けましておめでとうございます

 本ページをお尋ねくださった人びとに感謝致しますと共に、今年もご多幸をお祈りのり申し上げます。
 1月より拙作に関する演奏会も用意していただきました。良いニュースがたくさんお届けできることを願っています。

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