Katsuhiro Tsubonou Official Website. Act 2001~

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トガトンはメロディー楽器

 フィリピンの民族楽器・トガトンは小学校の音楽の授業でも活用されている竹の楽器です。
 硬い地面(コンクリなど)の上や、石で竹筒の底を打つと、1メートル以上ある太くて大きな竹筒や、30~40センチの竹筒から誰でも簡単に美しい音を生み出すことが出来る優れた楽器なのです。
 参加者が8呼間(6呼間でもいい)の何処で1回打つかなどのパターンを繰り返すことの応用から、結構複雑な音楽を生み出すことが出来るのです。
そこでトガトンを打楽器のアンサンブルと考える人が多いのですが、実は「メロディー楽器」で、打楽器的な表現が優先されているわけではないのです。この楽器の面白さはメロディーをみんなで生み出せるところが素晴らしいのです。
人は一つか(両手を使うと)二つの音しか、一つのトガトンからは音が出せません。しかし、そこにはビートがあり、仲間の音と重なる響きがあって、単音でも仲間とメロディーを紡ぎあって歌い始めることができるのです。ピアノやフルートとも共通するメロディー楽器になっているのです。そこを聴き出せるかどうかが、音楽づくりの核心部なのですが・・・

 文化会館での社会的な音楽活動でも応用が可能で、素晴らしい音楽づくりや仲間づくりができるはずでしたが、その指導を託すひとも、参加される人びとも、メロディーが聴き取れないでいました。だから全国の何処かで「トガトン楽団」やアンサンブルを楽しむチームが生まれなかったようです。
説明し、実演し、実際に私も加わって演奏して楽しんでもらっても、次にはつながらない世界でした。これから私が再度その種のワークショップを展開して、多くの人びとに楽しんでもらえると宜しいのでしょうが、もう私の役目は終わったようです。竹に限らず、大自然に鳴り響く様ざまな音たちが自然に歌っている世界を、他人と共有するよりも、黙って聴いていた方がいい、というのが私への天の声だったようです。

コン・コン/シリーズ

 私の作曲家の原点にある二つの作品シリーズを記しておきます。多分誰も二度と公開の場で聴くことは無いと思われますが、私にとっては重要な作品だからです。
 コンステレーション(=星座符。30本のクラリネット群のために、100本の木管群・打楽器群・コントラバス群のために、その後吹奏楽や合唱版でも半世紀前に公演)と、コンベンション(オカリナのための)の、コン・コン/シリーズです。

 二つに共通する音楽は即興性です。聴き合いながら響きを生み出し、個の音と仲間の音との響き合い・歌い合いを個々通し、全体世界に浸る音楽になっていました。それは個々の星の輝きを認識し合い、満点の星の生命との交流の広場に向かい、演奏者はゆっくりと歩みながら演奏を楽しみました。

 コンベンションでは、遠くから聞こえる音たちへの反応で、次第に人々は集まり、即興で会話し、やがて遠くに去って静寂が戻る、という構造になっています。
 それだけの説明で、子どもたちは奇想天外な世界を描いてくれます・・・天から星が降るような響きが、小鳥たちの会話になり、仲間が仲間を呼んで喧々轟々とした集会になり、自然に歌われる讃歌になり、喜怒哀楽の呼びかけを生み出したりしていました。
 町の子どもたちや大人たちも緩やかで大きな輪のルールで千変万花を表現していました。
 問題は学校の授業での展開や、授業の名人の「指導案」に沿った先生がたの展開でした。授業の名人であればあるほど、自身の設計通りに仕上げてしまうことでした。限られた時間や人数、予算などを考慮して、指導者の図面通りに仕上げてしまいます。だから「みんな私がつくってやった」という自慢を吹聴することになってしまうのです。その失敗は何度も起こり、これらを今後再演する意欲を失ってしまいました。故に、幻の星たちの集会、となった次第です。

簡単なことが出来ない音楽家

 音楽でも情報・知識を持たないと、主に音楽をつくってみんなで楽しむことは難しいものです。そのため音楽がどうつくられているか、勉強・レッスンでなく、遊びながらでも知識から真似て自分たちでもつくってみるキッカケになることが第一歩なのです。
 その情報源は、民族音楽にもクラシック音楽の名曲にもたくさんあるのですが、それを多くの音楽家は子どもたちに伝えることが出来ないでいます。
そのヒントを幾ら私たちが助言しても聞く耳を持つ人は少なかったようです。故に子どもの生み出す音を聴けなかったようです。子どもが遊んでいる音楽のなかに音楽宝物が詰まっていたのですが・・・
遊びながらも子どもたちが生み出す音の群れを、音楽家が褒めてまとめるのではなく、参会者が気に入る表現になるまで「待つ」ことが大切だったのです。しかし、待てずにバチの持ち方、音の出し方など、レッスン・レクチャーに向かう音楽家が多かったようです。

 音楽の勉強は、優れた技術を身につけて、出来るだけいい環境でその表現を褒めてもらうことが主になっています。他人より優れた表彰(コンクール)が大切でいます。自分の優れたところを社会で役立たせる術を持たせる講座が殆どないことが音楽系の大学の足腰を弱くさせている基になっています。簡単なようですが、これは構造的な欠陥で、ステージの上からの提供に強く、広場の音楽からはつくることが出来にくいということです。音楽の技術を持った人びとが文化芸術を愛し、理解して次の世代に育てて行くということは、簡単なようで難しいことだと思っていますが、その壁を乗り越えられないでいた人にも責任はあると思われました。

現代音楽の即興

 音楽の醍醐味と無常の新世界は「即興」にあります。
 即興はデタラメではありません。ルールにのっとった表現で、音楽の様ざまな表現を可能にさせています。民族音楽にもあるし、クラシック音楽にはその時代の名手(作曲家やピアニスト)が表現して時代を創ってきていますが、楽譜の残されているものはごく僅かですから実態がなかなか分からないかも知れません。そして何といってもジャズが凄いし、今でも音楽が一番生かされているのはそのジャンルかも知れません。
 ’60年代に現代音楽でも、即興演奏団体があった。東京芸大の楽理科出身の作曲家・演奏家が集まって演奏した「グループ音楽」がそれでした。「現代音楽でも即興があるんだ」と私は大いに影響を受けました。
 
 ’70年に拙作「クリエーション」シリーズを発表しました。ほとんどルールを記した楽譜であり、即興が柱になっていました。
 トロンボーン・アンサンブルの「第一番」は、一つのフレーズを、相手や仲間が真似する、反抗する、対話し合う、等の連続で音楽が進んで行きました。それは鳥獣戯画のような音で面白いし、演奏家の個性が表に出ていて、音の海で聞き手は楽しく揺られる面白さがあしました。しかし私と演奏をした仲間以外、誰もいいとは言いませんでした。

 もっと即興表現が広がるように、と図形や注釈表を増やして、他のアンサンブルや合唱にも拡げたが、発展はしませんでした。その原点を大切にした段階で、本当は作曲家として失敗の道を歩み始めたのかも知れないと思っています。

みんなが主役の歌符

主役が最初から最後まで輝く作品例が多い。トップメロディーを任される人のいる団体が成功すると思われている。
児童合唱団を引受けた時、一番可愛く見える旧来の少女雑誌の表紙のようなデモを撮影してきて「この子から売り出したい」と提案してきたのには驚かされた。合唱はいろいろな声が生かされて団体の個性が出るのに、初手から考え違いをしていたひとがいた。

 アマチュア・オーケストラでブラームスの音楽に人気があるのは、それぞれの楽器が主役になれる時間があるからだ。「みんなが主役」を実践させている。この精神がどんな仕事にも必要で、それが出来てこそみんなが輝くのだと思って私は作品の中でも実践してきた。

 混声合唱組曲「エイシア」(片岡 煇詩)のなかでは「エイシア」が、主旋律をソプラノからアルト、テナー・バスと歌い継いでいく。誰もが主役のメロディーを歌い継いでいけるようになっている。それは子どもの合唱曲「蝶の谷」でも同じだ。
 様々な人びとが主役になる。それをみんながサポートし合う。私の生き方だった。

注釈譜③

 拙作「オカリナのためのコンベンション」の注釈譜
 ♪参加者全員が遠く離れたところから仲間と音の交信をする。みんなで決めた一つの音から聞こえる仲間の音から少しズレて(ハウリングを起こして)交信する
 ♪全員が中央に集まってくる。出会った仲間と即興で「会話」する
 ♪次第に遠くに仲間が離れていく

 音楽づくりの基は、一つのアイディアを、仲間どうしが考え、つくり合うことが核になっている。だから大切なことは、誰かが何かを強制したり、ダメ出しをしたりすることでなく、みんな考え(ルールもつくり)、聴き合い、楽しむことにある。
 故に時間が無い、金がない、自分たちで考えられないから、指導者が指示して決め、構成演出もリーダーが作ってしまうことがよくある。
 そして、この種の企画(作品)をリーダーに依頼すると、「作曲者は何もできないから、私(リーダー)が全部つくってあげたの」と言わしめてしまうことになる。誤解の音楽づくりの歴史が続くことはリスクとして残っている。
 しかしインストラクションの音楽の良さは、これから認められることになると私は信じている。

注釈譜②

みんなで輪になって「おはよう!」という言葉の音程で、みんなが同じ声で「あー」と出してみよう
その同じ音声をウェーブで回してみよう
隣の人と少し違う音を出して、みんなで全体の音世界を聴いて見よう
元の音に戻り、エッ という声で、様々な高音から低音まで使って、小鳥のように鳴いてみよう(パターンを考えて、同じフレーズを繰り返してみる)
歩き出して、広場全体を使って「即興で」仲間と(2〜3人ずつで)交代で「会話してみよう」
みんなが元の輪に戻って小さなウェーブをつくり、オーという声で強弱を即興でつけて、みんなの声を聴き合いながら歌ってみよう
次第に輪を広げて、全員仲間の声が聴こえなくなるまで広がったら終わり。
 

注釈譜の例である・

注釈符①

 昨年「日本ISMN コードセンター」という一般社団法人が、私も理事に加わり設立されました。世界の楽譜標準化推進支援とインフラ整備支援のために、経産省の人々や音楽産業の代表が加わり、また音楽家を代表して私も加わり、国際的な楽譜の用語統一や、それによる楽譜や楽書の検索が何処でも誰でも世界中から可能な整備をして行くことができるような、コンテンツ産業の一助になることを推奨できる組織として誕生したことになりました。

 その中で特筆されたことは、楽譜は五線紙で書かれたものだけでなく、図形楽譜、インストラクション(注釈)だけでも楽譜として認知する、ということでした。特にインストラクションだけでも、という私からの提案は大きな成果を生みました。「五線で記された音楽に忠実に」という概念から大きく広げられて行く決定は、言葉で書かれた内容で音楽が創造できて、多くの人々と共有できるということで、歴史的なことだと思われました。もちろん子どもでも創作できる世界が認められたということでした。

あけましておめでとうございます

 今年もご訪問いただいたみなさまの、ご健勝とご多幸をお祈りしています。

 1月9日の第三回「 World collaboration concert」を、私の音楽監督で

参加し紀尾井ホールで、また3月5日には東京タワーで開催します。

 私は助成団体の審査員から、文化事業の助勢まで、作曲を中心に活動を展開していきます。

メタバースの音楽

 50年ほど前、拙作のなかに図形楽譜の作品が幾つかあった。
 本 Web サイトの表紙の一部なっているが、ヴァイオリン・ソロの「スカイ・プロズム」と、ハープのための「リンの詩(うた)」がその例だ。

 「スカイ・プリズム」は、その名の通りプリズムを回すことによりまれる音たちを、演奏家が即興で感じ取り、表現していく音楽だ。
 プリズムだから三角錐の中に音たちが、ちょうど宇宙の星のように浮かんでいて、それが三角の面が回ることによって、星たちの存在が変化していく仕組みになっている。
 三角だから一つの時間軸をドレミのド、もう一つを5度上のソ、最後の軸を更に5度上のレに設定すると、ドとソの面から見た星たちが浮かんでくる。しかし次の面、ソとレの面から見ると、同じ音たちが違う音の場所にいることになる。またドとオクターブ上のレの面を見ると、また代わったポジッションの音の存在に気がつく。「仮想空間」の音との交流がそこにはある。音楽の三次元の創造に於ける表現だったが、半世紀たっても誰からも理解してもらっていない。埋没したママか、眠ったママか、とにかく拙作の一番の自信作だが、なんの評価もされないママ時が過ぎて行った。

 子どもの「音楽づくり」など最適だと思うのだが、この仕組みを理解していただくことは、なかなか難しいようだ。
 なお、文中の拙作が二曲入った CD はフォンテックから発売されている。
 <FOCD2570>

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