最初に誤解が無いように申し上げておく。それは音楽をつくることは誰にでもできるという意見や、ピアノは誰でも直ぐに弾けて演奏を楽しめる、という表現が誤解を生むからだ。「音楽をナメているのか」と叱られそうだ。作曲も演奏も、何十年も努力をしても奥深く、誰もが納得がいくような名人の域に達するものではない、という至極当然のご意見を誰もが持っているからだ。

 管楽器でも弦楽器でも、一音気に入った音を出すのに何日もかかることがある。ピアノは指一本でも簡単な音楽は直ぐ出来るし、歌も聞きかじり程度なら直ぐ弾ける、ということは誰でも知っているだろう。

 子どもでもいい音楽は沢山つくれるし世に溢れているが、多くの人びとの心をノック(ヒット)する音楽は、そうそう生み出せるものではない。しかし、簡易楽器や打楽器などで、技術を持たない人びとが、自分たちの持ち合わせた情報や技術で音楽が生まれる構造をヒントとして共有すると、誰もが直ぐ音楽をつくり合うことができる、という例である。

 音楽をつくってみると、自分のなかにある音楽を仲間と共有できること、仲間の音楽を聴くことにより、他人の価値観を大切に出来ること、そして同じ目線でひとと寄り添えること、古典の名作や文化芸術に、またそれらをつくり、演じ、護る人びとをリスペクトできる、ということが生まれるのだ。だから、いい音楽がつくれたかも大切だが、様ざまなリスペクトが培えることが大きいのである。